ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

一旦リセット、もしくは体験会

2日前の15時にモデルナワクチンを受けて(2回目まではファイザー)、副反応に怯えて過ごしていましたが、48時間が経った今までそれらしい反応はなく、

「これ、抗体ちゃんとできてる…⁈」

と不安になってきました。

友人が「キレートレモン飲んだらええらしいで!」とネタ的に言っていたので3日間、1日2本ずつ飲んではみました。美味しかった。

 

それと大事をとって当日と翌日は9時間ずつくらい寝た。

むしろスッキリしています。

 

睡眠、大事!(すかさず養生のすすめ)

 

 

睡眠に加えて、年明けからヨガ的なもののインストラクター養成を受講していて自分の体での練習を続けていたり、

縁があってアロマケアや整体の施術を受けることが続いています。

実は年始からメンタル面が不調…と言うほどではないけれど不安定になるところがあったのですが(父が亡くなった家に住んでいることで整理がまだついていないのと、毎年1月は調子が良くない)、ヨガと人の手による調整で大崩れはしないで済んでいます。

 

私は元々、ものすごく自分に無理をかけて酷使して心身ともにまずかったのですが、

まじめに鍼灸師として勉強と実践を始めて、ずいぶん元気になりました。

 

鍼灸院を一人でやっている上で、自分が元気であることは最低限のことだと思っている(仕事の一部)のでけっこう気をつけています。

それよりも元気で機嫌がいい毎日を過ごしていると、調子が悪くて機嫌が悪くなるのがイヤになるので、「仕事だから」の圧よりは「機嫌よくいたいな」の前向きな欲で養生している感じ。

 

 

それでも今年はどうも調子が出なくて、今から思えば休みを取らずに自分で調整し続けられる限界を少し超えそうになっていたんだと思います。

そういう自分への観察も判断もうまくできなくて、とにかく仕事の量を調子に乗って増やさないこと、それからよく眠ること、だけを続けていました。

 

多分その2つだけでも、続けていたら元気にはなってきたと思います。

疲れている時はやり過ぎないでしっかり休む、その二つをじっくりやれば、少しずつでも回復はしてきます。

 

だけどそこで、人の手を借りることができたら、いっぺんにぐっと状態を持ち上げることができます。

 

正直言って、一度や二度思いつきて施術とか人に導いてもらってのヨガをするだけでは、「いい状態」は長続きしません。

だけどこの、人の手を借りてでも一度「いやな状態を抜け出して」、「いい状態を体験する」ことができたら、日々の元気を取り戻すためのアクションをする元気が出るし、ちょっと頑張ってみようかな、という気持ちを思い出せます。

 

しっかり動きを見てもらってのヨガ、そしてアロマや整体といったケアを受けて、私は

「そうだった、元気な時の私ってこんな感じだった」

を思い出し、

「この感じでずっといるために、自分でももうちょっと動こう、早く寝よう…(などなど具体的にやること)」

という方向に気持ちがぐっと動いて、地道に体を動かしたり、寝る前にダラダラとiPhoneを触ってるのをやめたりできました。

(そう、そんなことするようになっちゃってたんですよ、どうかしてたな)

 

全部プロにまかせて「ハイ元気にしてよ!」じゃなくて、

プロの手で「私ここまでいけるはずだよな!」を教えてもらうのって、いいな、と改めて思いました。

 

そういうつもりで仕事していて、いつも施術で元気になって帰る人たちには

「それが本当のあなただから、それを保てる毎日過ごしてね!」

というつもりで自分でできることをお話しする、しゃべる鍼灸院なんだった。

 

しばらく自分が調子悪くなってなかったから、ちょっと忘れてたところがあるかもしれません、

ただ元気を押し付けてるみたいに暑苦しい店だったら、すみません。精進いたします。

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

元気にしてくれるプロをたまに使って、

「自分はここまで元気になれるんだな」

を体験すると、毎日の養生楽しくやれるようになるよ。

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元気なさすぎて、暮れに届いてた久高島のしめ縄、やっと3月に飾れた。

 

 

 

 

 

父の介護的生活でつらかったこと(忘備録)

父の四十九日法要も済み…と書きかけてからすでに1ヶ月。

 

うちは実家が引っ越していたり、父が長く患っていたりしたので、いろいろの片付けはさほど大変ではなくて、私が忌引からお正月への休みボケからの復帰リハビリをしたり、新型コロナで保育園が休園したりしているうちに、あっというまに3ヶ月。

 

正直、父の死にきちっと向き合って消化しきれていない気はしている。

 

だけども、結果的に父の最期の日々(そんなふうには思っていなかった)に私が感じていたつらさはじわじわと、だけどけっこう早く失われていっているので、ここで少し書き留めておきたいと思う。

全くの個人的な経験と気持ちの記録なので、特に役には立たないし責任も取りませんのであしからず。

 

 

今となっては、

 

「なんであんなにしんどがってたんやろ…今から思えば大したことじゃないのに。

もっと父に優しく接することはできたんじゃないか?

私は人としてなんてひどいやつなんだ」

 

とか思いはじめて、自分を責めたりしてしまいそうになってきている。

もう、あのとき自分が感じていた「つらさ」を忘れ始めている。

 

まず事実として、私は父の「介護」と言えるようなことはさほどしていない。

一緒に暮らしたのも1年と数ヶ月。

 

父はパーキンソン病を長く患って、弱ってきてはいたけれど、最後は週に2日半日ずつ、自分が開業したクリニックの名誉院長として出勤していた。

紙パンツにはなっていたけど、自分で着替えて、それを袋に入れてゴミ箱に入れられていたし、いわゆる下の世話は全然していない(特大の粗相は数度あってその処理はした)。

食事も、最後になった1ヶ月は転倒で手が動かなくなったけれどもそれでも自分でなんとか食べていて、私たちは食事介助もしなかったし、特別なメニューも用意していなかった。亡くなる2日前はハンバーグを食べていた。

 

なので、「お世話の手間がしんどい」というほどの量はなかったはず。

 

それでもつらかったのは、私の気持ち。

ブーメランみたいに戻ってくる、自分への叱咤、批判、攻撃。

 

 

私と父の関係は、私が高校生だった頃のある出来事によって希薄になってしまっていて、同居するまでは「病気、大変やなあ。知らんけど」ぐらいのことだった。

 

それが同居して毎日、病気と老いを目の当たりにし続けるようになって、そのことに自分がじわじわとダメージを受けるようになって、そしてそれが蓄積していった。

 

誰にでも病気や障害は訪れる可能性があって、

老いは確実に自分にもやってくる。

それを具体的に毎日見せられて、自分の未来への不安と怖さが迫ってくる。

 

父本人だって望んで得た病ではないわけで、

それはよくわかっているから、いろいろ不自由になって手間がかかるのを責める「べきではない」し、「もっと本人を尊重すべき」。

 

わかってるのに、怖さが先に立って「見たくないのに毎日見せられてる」という苛立ちになって、余裕のなさからそれを態度に出す。

そしてその態度のひどさは「そんなことすべきではないのに」とまた自分に戻ってくる。

 

私は医療従事者だから、「病気の人には優しく接するべきだ」「いちばんつらいのは本人だ」と、客観的には思うのに、できない。

ってまた自分に戻ってくる。

 

とにかく、自分の器の小ささを毎日つきつけられて、ほんと、しんどかったな。

 

 

最終的に、父は家で息をしてないのが見つかって、救急車到着まで私が胸骨圧迫(心臓マッサージ)をして、一度蘇生(心拍が戻った、意識はない)してそのまま病院でその日のうちに亡くなった。

 

言い方が難しいけど…

今の日本で生きていて、医療の恩恵を受けながら、という中では最大限に「生き物っぽい」、亡くなり方だったんじゃないかと私は思う。

 

「延命治療は望まない」「無理やり生きているのはいやだ」

という論調は聞くことがあるけれど、

「もうすぐ死んでしまうような状態の人」

はケアなしには生活はできないし、そのケアをする人は「もうすぐ死んでしまうような状態」を少なくとも「見る」ということをしないとならなくて、

それは、私が体験したようなマイルドなものであっても、けっこう、疲れるし、怖い。

 

家であの感じを見ないで、病院がお世話してくれるんだったらそりゃ、ありがたいよな…って思う。

だけどうちの父は入院することも、訪問でのケアもすごく嫌がってたので、

不機嫌な娘に八つ当たりされ続ける毎日でも、ほぼ家で亡くなってよかったのかな…と解釈することにしている。うまく死ぬのって、どうしたらいいんだろうなあ、という問いは残ったまま。

 

私は高1の化学で1学期に11点を取って医学部受験を諦めたのだけど、よかったと思う。

生き死にに関わるところに責任を持って関わり続けるのは、私には荷が重すぎる。あれが日常って…すごい。

(当時の担当、奥田先生は「君のミスは全部算数レベルやから(モル計算だった)、ちゃんとやればできると思うけど」って言ってくれたけど)(化学、大好きだったけどな…)

 

 

亡くなる直前の自分の余裕のなさからのひどい態度については、しばらく自責の原因になってまた夜中に眠れなくなっていたりしたのだけど、時間がたって、日常がばたばたしすぎて気にならなくなってきました。

というか、もう少し視点を離して、高校生の頃から20年以上、精神的な距離のあった人に、そこそこがんばって向き合えたかなとは思うようになっています。

あと、息子と父が同居できたのは、父にはよかったから、それで勘弁してもらいます。

 

 

今日は…養生的な視点、どうかなあ。

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

頭の中にもやもやとある重いことは、いちど外に出してやるのもいい。

話したり、文章にしたり。

 

そして、時間が解決することって、ある。

時間しか解決しないこともあるので、急いでなんとかしようとしない。

あと暇だと余計なことを考えてしまうので、適度に忙しいのもヨシ。

 

 

ここまで読んじゃった人ありがとうございました!

 

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家族にはバカウケの「あのリュック!」多分30年は使ってました、父が。

 

 

 

 

 

 

たまにはダラダラするのもよし

今日は四十九日法要で、お昼にお鮨を隣の大将のところで取ったら、お供えしといて、って余分に巻き寿司ももらって、

 

今夜はそれ食べとけばいいし、雨と法事疲れ、明日も仕事休みだし(コロナ休園中)、

 

『マンダロリアン』見ながらソファでゴロゴロ二人でお鮨食べて、息子氏はレゴ。

 

こんなに「ちゃんとしてない」夜は久しぶりかも。

 

それでもさほど体調悪くするような感じでもないし(食べてるし、朝は寺を歩いたり走ったり、昼寝も)、


なんかたまにはこんなんもいいのかなあと思う。

 

息子氏もなんかマッタリして「かあちゃんきもちいいね」とか言っててさ。


そうだね〜。
この後はお風呂に「日本の名湯」入れて浸かって、寝ような。

 

ちゃんとしようとする圧が強すぎるのかもな、私のふだんの毎日は。

まあ収入はないんだけどさ今週。

 

四十九日に思うこと、は、昼間途中まで書いたけど放置してるのでそのうち書きますね。

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

そこそこちゃんとした毎日で、

たまにダラダラするのがすごく楽しい。

 

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美容鍼灸をやろうかなと

美容鍼灸をやろうかな、と思って、浜松まで実技講座を受けに行きました。

 

いま、帰りの新幹線で、息子氏がじゃがりこをすごい勢いで食べています。

じゃがりこを与えておけばこうして文章も書けるようになった。講座の間、息子氏は浜松在住の友人と、なんと東京から遊びに来てくれた友人に預けました。ありがたい。

 

子が子どもになってきて、勉強も仕事も、やれるんだなって気がまたしてきて嬉しい。

 

 

美容鍼灸、リクエストされることもあったけど、私が美容について「たんぱく質摂って早寝、日焼け止め!以上!ノーメイク!」という人間なので縁がない、と思ってました。

 

だけど去年あたりに、仕事して、自己主張が真っ当に進化してきた息子氏の相手をし、介護のようなことに関わって睡眠もまずくなり(夜中の物音やストレスで)、

 

老けたな…

 

と思って、美容鍼灸、いるかも、と思ったのです。

 

老けたくない、というよりも、

生活の中で、しないとならないから、じゃなくて、

なんかうれしいから、ってやることが必要だな、って思いました。

 

それがないから気持ちが老け込んでいました。

なんかいつも怖い顔してて、顔が凝ってる感じもしたし。

 

 

鍼灸師アスレティックトレーナーという、医療従事者として働いているつもりなので、美容ってなんか、医療者としてどうなんだ、と思うところもありました。

だけど、「なんかうれしい」を提供して、日常を楽しく生きてもらうことも、鍼灸院でできる医療。病気になってから治す、じゃないところが私のフィールドなのだし。

 

 

そんなことを考えているタイミングで、

以前隣の席で仕事をしていたこともある先生が「FN美容鍼」のセミナーをされたのを、オンラインで、寝かしつけながら(これもありがたい時代だ)見て、ヨシこれでいこ!と決めました。

 

申し込んだらコロナで中止になったり、延期になったりして、なかなかタイミングが合わなかったので、浜松、行くわ!で強行突破してきました。

要介護の父のいる家から気分転換に離れたい、みたいなのもあったんですが、暮れに父が亡くなって、その必要はなくなったのに、なんかどっか行きたい熱だけ残ってて飛び出して来ちゃったな。

 

 

息子氏はずっとアイスを待っていたんだけど、京都まであと15分というところで車内販売がやっと来ました。硬いアイス、15分で食べられるのか!!

持参した、熱伝導のいい「新幹線アイス用スプーン」を使って…ると思ったらじかに噛み付いてました。それは、いけるのか?

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【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

・必要なこと、だけじゃなくて、

「なんかうれしいからやりたい」こともやろう。

 

・養生的にはバツでも、新幹線でアイス、そりゃ、食べるでしょ。

 

 

 

 

 

 

はじまりはMARVEL

休みを取って、『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』観てきました〜!

 

よかった〜!!

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私はもともと、宗派としては『スター・ウォーズ』なので、マーベルのヒーロー映画(アベンジャーズ系統)はあまり興味がなかったのです。

それが、去年の夏頃にマニアの人からじわじわと話をきいて見始めたところ、イッキ見。

 

9月に劇場公開になる新作がある、というので、それまでに、過去作全部見ておきたいと思うようになり(ここがちょっとおかしいハマり方)、配信で25本ぐらい、見ました。

そして無事、大好きなスカーレット・ヨハンソン主演の作品を劇場で見ることに成功。

それ以降、新作に合わせて休みを取って劇場で観ています。

 

もともと映画を観に行くのは好きでしたが、去年からマーベルに引きずり込まれてよかったと思うことが2つあります。

 

 

まずは、私には一人で映画を観に行く休みが必要であるということをちゃんと思い出して、実行に移せたこと。

 

仕事の休みは定期で取っていますが、その時には3歳の息子は保育園を休んでいるので、母ちゃんを休むことはできません。

41歳の歳に息子を産んだので、一人で過ごす時間があるのが習慣で、一人で好きに使える時間がないと、頭の中の忙しさが蓄積してきて機嫌が悪くなります。だから一人の時間がいります。

 

機嫌が悪くなるぐらい我慢しろと思う人も多いのかな、と思うくらい、世の中には機嫌が悪い人が割といますが、自分を機嫌よくしておくのは、人のためにも大事なことだし、私の場合は仕事にものすごく響くので自分のご機嫌とりは必須です。

 

みんなも休もう。一人で。

 

 

そしてもう一つよかったこと。

自分には時間がある、ということに気づいたこと。

 

子を産んで3年くらい経って、体力も戻ってきたし、この世話も少しずつ手間が減ってきて、やりたい勉強や仕事もやれるはず…なんだけど、どうも時間がないんだよなあ、と言い訳して腰が上がらなかったのですが。

 

気づけば、店をちゃんとやりながら、マーベルの映画25本以上、50時間以上観れたわけです。

食事の支度しながら、タオル畳みながら、昼休みお弁当食べながら、寝る前にも少し…

細切れ・ながらではありながら、全部、観ました。

 

あるやん、時間。

 

それでマーベルのシリーズを見終わったあたりから、動画視聴で勉強する勉強をちゃんと始めました。整形外科とか、産婦人科とか。

マーベルと違ってながら見できないし、メモ取りながら見たいしで、映画のようにはいきませんが、細切れに時間を作ってでも、というのをマーベルで体感でわかったのが大きかったです。

 

 

問題は、マーベルが新作を、映画だけでなく連続ドラマでも次々に発してくることで、こっちも、勉強もあるのになかなか大変です。本命のスター・ウォーズも続々とドラマを出してくるし…困る。

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

・一人時間、社会の平和のためにも、取ろう。

・時間、ないと思っててもわりとある。好きなことなら細切れでもやれる。

 

 

 

こんまり教信者です

「こんまり」(近藤麻理恵さん)教の信者として何度か大がかりな片付けをしていると、

 

「これ、いらんのちゃうかな…とりあえず置いとくか」


っていうやつはだいたいいらん、というラインがわかってくるし、

 

 

もの買う時に


「これは…そもそもいらんようになるな」


というラインもハッキリしてくるので、いらんものを増やさなくなります。

 

増えるのは本だけです。

 

 

こんまりちゃんの片付けはNetflixで番組が作られるほど、アメリカで(でも)人気が出ています。

 

家が片付くって気持ちいい!

だけではなくて、哲学です。

 

「手で触れて、ときめきを感じたものだけを残す」

という作業を実際に、大量に、一度に行うことで、

・自分は何を大事にしたいのかを自分で理解する。

・気持ちのいい場所を自分で作ることができるという実感を持つ。

ということができる。

 

思考を、マインドを変える、というだけでなくて、ちゃんとアクションする、というところにつながっているのが好きなところです。

多分、断捨離とかも同じようなところに行き着くんでしょうけど、「ときめき」が基準である、というところがこんまりさんのいいところ。

 

人生、必要かどうかより、ときめくかどうかで決めていきたいから。

 

とか言いながら、息子氏の本棚を移設しています。息子氏はずっとミッキーマウスクラブハウス見てます。途中からは絵本運びと、お気に入りの仕分けに参戦してもらいました。

 

好きな本は上に飾る、を決めることで、息子氏にも自分の好きを選んでもらいたい。とか、わりと、大げさですがほんとに思ってます。

 

 

 

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【ゆにさんの、今日の養生ポイント】

 

片付けで自分の好きを選ぶと、

自分の居場所がときめく。

っていうのも養生。

 

亡くなっても、尊し!

前回、生きてたら尊いみたいな記事書いて、なんと翌朝、父が亡くなりました。

 

そのあとにFacebookに書いた文章を、記録のためにも転載します。

 

 

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今日、父の告別式をして荼毘に付してきました。

 

告別式も、仏教的なあれこれが大好きな息子氏は大フィーバー。(注:お通夜にたくさん人が来てくださって、祭壇も立派だし、常々南禅寺を走り回っている息子氏3歳には『フェス』だったみたいで大エンジョイ)


お数珠をコレクションしたり耳にかけたり、お焼香ではつまんだのを思いっきり鼻にあてて匂いをかぎまくり、ナムナム。何回も棺の中を覗き込んでじいじをじっと見てたりで、おもろすぎるのと泣けるので私が情緒不安定。

 

 

父は14年にわたってパーキンソン病を患っていて、じわじわと動きにくくなっていました。
この年末で仕事(週2回出勤、精神科医)を引退、年明けにはリハビリ入院が決まっていたタイミングでした。

 

病院に入って、助けてもらえたらもう少し生きられたかもしれない。
だけど、最後の数日で目に見えて弱って、私は毎日怖くて怖くて仕方ありませんでした。
医療者としてアスレティックトレーナーとして、「何かあったら対処する」つもりで生きてるから、ほんとに生き死に関わる場面が迫ってるのを毎日感じて生きてて、疲れた!
(ちなみに誤嚥で窒息→けいれんもこの1年で3回救助した)

 

早く入院して欲しい…と思ってたその時に亡くなって、結果として、曲がりなりにも生涯現役、身の回りのことも最後の2日まではなんとか自分でやってました。

 

病院で管につながれて死ぬなんて…自然に死にたい、とか言いますが、そうじゃないなら眠るように美しく逝けるとは限らないし、本人もつらく、助けながら一緒に暮らす人もつらい。全然美しくないし。怖いし汚いし。

 

父のつらさには正直あんまり寄り添えなかったけど、不器用というか自由(褒めてるかどうかは微妙)な人で、私も寄り添ってもらった覚えがあんまりないから、一緒に暮らして、息子氏と暮らしてもらったことで勘弁してもらいたいな。

 

胸骨圧迫(心臓マッサージ)をして救急車に引き継いで、一度は蘇生。友人の、
「娘に最後、一旦生き返らせてもらったのは素晴らしい最期よ」
っていう言葉を抱きしめています。

 

 

結局、器の小さい私の、先に向かっての不安とか、イライラとか、全部もって逝ってしまいました。娘よ、お前にはもう無理やろ、ってことなんかな〜。まあ、正解!

 

切ないつらい病が世の中にはあって、選べないから、せめて今できる限り健康に、楽しく、楽しく!生きていきたいと思います。
そのために元気になる方法を考えて伝えるのが私のライフワークなんだな。

 

この黒板かいて2日後だったんだもん、笑うわ。

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【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

結局、いつも、自分のできる限りを、楽しく。

「できる限り」を大きくするためにも、養生。