ゆまにて日記

京都・左京区の鍼灸院 女性鍼灸師ゆにからの毎日のお知らせ

ちょうどいい生活

こないだ、晴れた休みの日に、店で一人で息子の靴を洗っているとき、

「あー、なんかちょうどいい気持ちだなあ」

と思った。

 

最近は休みの日に出かけることが続いていたのだけど、その日は特に予定がなく、息子が「ばあばちゃんと家で遊んでたい」と言ったので、昼前に一人で店に洗濯と靴を洗いにきていた。

5月の気持ちのいい日で、奥に長ーい京町家の玄関も裏の戸も開け放して、風が通って、吹き抜けからは明るい光が差し込んでいた。

 

やるべき仕事はいくつかあるけど、今日絶対にやらないと間に合わないということはない。

昨日は遅くならないうちに寝て、朝は息子と公園に遊びに行った。

 

そういう時間に、靴を洗って、そのときに気になった流しを掃除し、床も掃いておく。

いろいろ、片付けたり掃除したりは気持ちいい。

 

そうなんだよな〜、

私、家事は別に嫌いじゃないし、できたらしたい。それ自体が好きな家事も多い。

仕事も、そのための勉強も、好き。楽しい。

息子のことは、面白い。

 

だけど、なんかいつも「やらなあかん」になって、追いかけられてる感じがして、しんどい。

結局それって「タスクが多すぎる」になってしまうからなんよな。量の問題。

 

やりたいことはいっぱいある。

だけど、時間と体力は無限ではないからなあ。

 

しかし、

体力については増やす余地もあるし、

使える時間も、時期や環境によって変わっていく。

どっちもどんどん変化するから、「いま」の自分にちょうどいい量にしておいて、

機嫌良くありたいものだ。

 

私については、今、ちょっと抱えている量が多すぎる自覚はある、ので、しばらくは頑張りどころ、なんだけども、梅雨になったらペースダウンするに違いないので、今のうちに貯金を作っておきたいところ。

 

 

 

【ゆにさんの、今日の養生ポイント】

 

「多すぎ」注意。

好きなことでも。

 

 

息子氏の靴、むちゃくちゃ臭くなるのであった

 

息子氏健康法

4泊5日で妹の嫁ぎ先に出かけました。

空港のあるところから100キロくらい離れているので、行きと帰りは空港の近くで息子氏4歳とホテル泊。


あ、これから書くのは息子氏が「生まれつきむちゃくちゃ健康な人」である、という前提ですので悪しからず。神様からのgiftだと思ってます。

🍀
🍀
息子氏が生まれてから、彼においては「いつも通りをたんたんと続ける」をできるだけ続けてきた。
保育園に行っているので、できるだけ保育園のスケジュールに合わせる。

 

午前中に体を動かす(走るの必須)
食事の時間をずらさない
毎食、タンパク質と色の濃い野菜
昼寝必ず
おやつはエネルギー源だけでない栄養があるもの
遅くとも21時に寝る

 

特に2歳くらいまでかな、何かに取り憑かれたように絶対必ず守っていたので、外食も少なく、18時以降の私の用事は全てパス。

 

結果、全部それが息子氏の身についたようで、
今回の旅程ではいろいろ感心することがありました。

 

移動時間を昼寝時間に合うようにできるだけしておくと、必ず寝る。
いとことはしゃいでいても、夜寝る時間に「寝るよ」と声をかけるとすぐ就寝、3分で入眠(誇張なし)。

 

タンパク質、野菜と取り分けておくと、全部食べる。初めてのものも。

暑くてアイスを食べたり冷たいジュースを飲んだりする機会もあったけど、「多いな」と私が思ったものはいつも(毎回!)、
「さむい」「おなかいっぱいになった」と言って自分でやめる。

 

結果、たいていの時間は機嫌よく生きている。

 

寝る食べる動くをちゃんとして機嫌よく生きる、を自分のモットーにしているし、それを伝える仕事をしてるけど、息子氏見てるとほんと「師匠!兄さん!」って呼びたくなります。

 

私はといえば、仕事=子なしで生きられる時間がなかった結果、毎日1時間ずつ夜更かしして23時に寝てしまったうえ、
息子氏の活動量に合わせて歩いたり走ったりした結果、疲れてやや機嫌が悪くなったりしていました。

 

息子氏に合わせた活動だと、自分の体力のなさを思い知りますね。
あとビジネスホテルの姿見を見て「ちょっとちゃんとせな」と思いました。そろそろ走るか。

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

4歳児の生活には健康のエッセンスがみっちりと詰まっている。

そして健康な4歳児との時間はトレーニングになり得る。

 

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体の力、抜きたいねえ

連休前半は暦通り(土曜は仕事)で、飛び石連休。

 

土曜はお休みモードの方が来られて、連休はゆっくりできたらいいですね…と送り出すことが続きました。

 

山がいい色になってきたなあ。最高の季節。

 

「肩を動かすような運動も楽しくやれてるんだけど、

やっぱりどうしても肩のコリがとれないんですよね〜」

 

という方があって、話しているうちに、

 

「どうも、力が抜けない」

 

っていう話に。

 

 

 

私も高校生のころ、自分が鍼灸師になるひとつのきっかけになった鍼灸の先生に、

「ふつうに生活するのに、力入れすぎ。もっと力抜いてね。」

と言われたことがあります。

施術受けるのに横になってるときに言われたんだから、どんだけ力入ってるんだ、って話です。

 

でも、そういう方、けっこういます。

っていうか私も今でもそういう時あります。

 

同じ姿勢でずっと座ってパソコン仕事してる、とかは、わかりやすく

「同じ形に体を固めるように筋肉を使っている」

ということなので、そりゃ、こります。

 

 

でもそうでもないのにな、体動かす時間も取ってるし、デスクワークもそんなにしてないし…

なのに肩が、腰が、いやなんか全体に、硬いな…という感じになっているときは、

 

「気持ちの緊張感が高すぎる」

 

っていうことが考えられます。

これが「力が抜けない」ってことなんだと思います。

 

自分の意思で「よーし全身に力を入れるぞ!」と入れているわけではなくて、

例えば考えることが多いとか、

気にかかってることがあるとか、

時間や締切を意識しているとか、

苦手なことに向かっているとか、

そういう「頭の中の忙しさ」「ストレス」が、体を硬くしてるということです。

自律神経の働きが関係します。

 

 

なので、それが原因で体が硬い場合は「頭の中をゆったりする」「ストレスをへらす」になるわけなんですけど、それを頭で考えてやるのはむずかしい。

 

なので体、ボディからアプローチする方がやりやすいです。

 

うちの鍼灸施術だったら全体をみますけど、

 

自分でだったら、

「頭が考え事で忙しくなれないぐらい、激しめの運動をする!」

という攻め気の方向からやるか、

 

ちょっと遠回りなようで、

「忙しくならないように生活のつくりを考える」

っていう、根本的なやり方を勧めたい。

 

 

昨日話していたのも、

楽しいこと、好きなことであっても、時間と労力はかかるから、

それを生活に組み込んだときに、他の用事と合わせて、自分の生活に使える時間と収支が合わないと「忙しい」が生まれて力が入っちゃうよね、っていうことでした。

 

 

振り返ってみて、私がそんなふうに、力が抜けなくて、朝起きた瞬間に体がカチカチになっていた時期は、

・部活と受験でぎゅうぎゅうだった高校生の頃

・週休0日で働いてた20代から30代

・週6朝練行ってた35-37歳

・息子が夜中に起き、父が夜中にうめいていた去年

で、なんかもう毎日がいっぱいいっぱい!って感じのときでした。

あれ、けっこう、10代以降ほとんどやな…

 

 

息子がほぼ夜中に起きなくなり、父が亡くなって、そっち方向からの圧が減っているので、今は「自分の生活を忙しくしすぎないこと」に気をつけています。

 

仕事のアイデアや勉強したいことはたくさんあるけど、去年までの疲れがまだあるのを感じるので、「今はできない」と判断しています。

ゆに鍼灸院は私が元気で機嫌よくないとだめな店なので、それができるようにしっかり休んでいるし、「しないといけない」もぎりぎりに減らすように心がけています。

 

やりたいことは、やりたい。

だけど今じゃない。

 

予定を減らしたり、寝る時間増やしたりすると「やりたいことできない」と思うかもしれませんけど、「今は」です。

ちゃんと自分を充電したら、またできるようになります。

 

毎日ぎりぎりで力入れて生きてると、なかなか充電しづらいので、ちょっとやることの量を調節してしばらく様子見る、もおすすめですよ。

 

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

 力抜けないの、そもそもやること多すぎかも。

 好きなこととやらないといけないことを並べて、

 ちょっと整理してみよう。

 

 

 

 

 

仕事と、子との時間、あと養生。忙しい。

産後のボケーっとしたのがやっとおさまってきて、勉強できるようになってきた。
(4年もかかったのは高齢出産だからなのか、私がぼんやりした人なのかはわからない)

 

経済的にもなんとかなりだして、毎月支払いにドキドキすることも減ってきた。
(ひとり自営業だから波はあるしこの2年のようなこともあるんだろうから全く読めないが)

 

子ども産む前の予定ではさっさと復帰して、できるだけ長い時間保育園に預けて、できるだけ長い時間仕事と勉強をするつもりだったような気がする。もう忘れてるけど。

 

だけど産後思った以上にアホになってしまったし、疲れるし、

それにそもそも子ども産む前が働きすぎていたということに気づいてしまった、というのもあり、

 

割と遊ぶようになったら楽しくなってしまった。

 

赤ちゃんの息子氏を連れ回してでも遊んでたけど、
コロナの間に息子氏がめっちゃ面白い人になったし、最近は一緒に出かけるのもオムツとか食事とか面倒が減って、2人で出かけることが楽しくなってしまった。

 

そして、高校サッカー部を長く見ていたときのことを思うと、多分あっという間に息子氏が「母ちゃんと遊ぶ」のをやってくれたり楽しんでくれたりする期間は終わるという確信もある。

 

 

全体に、長い時間働いている場合ちゃうな…
と思ってる。
だけど、お金もいるし、勉強もしたいし、年いってきて疲れるので寝る時間もいるし、

 

なんか、忙しい忙しいと思ってた20代とかより全然忙しいかもしれない。
けど寝る時間食べる時間を取っているから実働時間はむちゃくちゃ短い。一般的に見たら全然忙しくないってことになるんやろな…

 

「寝る」「食べる」「動く」で忙しいのって、あんまりカウントされへんけど、機嫌よく仕事してパフォーマンスを上げるには必要なんやけどな。

 

全体に、この文章こそがアホそうな感じになってしまったなあ。
まだ「どないしたらええんやろなあ」っていう段階です。


結果、朝から水族館行って、午後からの用事に間に合わなくてタクシーで帰ってきたりしております。

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

やりたいことを元気にやるために養生してるわけで、

やりたいことが多いと、バランスが難しいなあ。

(ポイント、コツはまだ自分もつかめてないな)

 

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一旦リセット、もしくは体験会

2日前の15時にモデルナワクチンを受けて(2回目まではファイザー)、副反応に怯えて過ごしていましたが、48時間が経った今までそれらしい反応はなく、

「これ、抗体ちゃんとできてる…⁈」

と不安になってきました。

友人が「キレートレモン飲んだらええらしいで!」とネタ的に言っていたので3日間、1日2本ずつ飲んではみました。美味しかった。

 

それと大事をとって当日と翌日は9時間ずつくらい寝た。

むしろスッキリしています。

 

睡眠、大事!(すかさず養生のすすめ)

 

 

睡眠に加えて、年明けからヨガ的なもののインストラクター養成を受講していて自分の体での練習を続けていたり、

縁があってアロマケアや整体の施術を受けることが続いています。

実は年始からメンタル面が不調…と言うほどではないけれど不安定になるところがあったのですが(父が亡くなった家に住んでいることで整理がまだついていないのと、毎年1月は調子が良くない)、ヨガと人の手による調整で大崩れはしないで済んでいます。

 

私は元々、ものすごく自分に無理をかけて酷使して心身ともにまずかったのですが、

まじめに鍼灸師として勉強と実践を始めて、ずいぶん元気になりました。

 

鍼灸院を一人でやっている上で、自分が元気であることは最低限のことだと思っている(仕事の一部)のでけっこう気をつけています。

それよりも元気で機嫌がいい毎日を過ごしていると、調子が悪くて機嫌が悪くなるのがイヤになるので、「仕事だから」の圧よりは「機嫌よくいたいな」の前向きな欲で養生している感じ。

 

 

それでも今年はどうも調子が出なくて、今から思えば休みを取らずに自分で調整し続けられる限界を少し超えそうになっていたんだと思います。

そういう自分への観察も判断もうまくできなくて、とにかく仕事の量を調子に乗って増やさないこと、それからよく眠ること、だけを続けていました。

 

多分その2つだけでも、続けていたら元気にはなってきたと思います。

疲れている時はやり過ぎないでしっかり休む、その二つをじっくりやれば、少しずつでも回復はしてきます。

 

だけどそこで、人の手を借りることができたら、いっぺんにぐっと状態を持ち上げることができます。

 

正直言って、一度や二度思いつきて施術とか人に導いてもらってのヨガをするだけでは、「いい状態」は長続きしません。

だけどこの、人の手を借りてでも一度「いやな状態を抜け出して」、「いい状態を体験する」ことができたら、日々の元気を取り戻すためのアクションをする元気が出るし、ちょっと頑張ってみようかな、という気持ちを思い出せます。

 

しっかり動きを見てもらってのヨガ、そしてアロマや整体といったケアを受けて、私は

「そうだった、元気な時の私ってこんな感じだった」

を思い出し、

「この感じでずっといるために、自分でももうちょっと動こう、早く寝よう…(などなど具体的にやること)」

という方向に気持ちがぐっと動いて、地道に体を動かしたり、寝る前にダラダラとiPhoneを触ってるのをやめたりできました。

(そう、そんなことするようになっちゃってたんですよ、どうかしてたな)

 

全部プロにまかせて「ハイ元気にしてよ!」じゃなくて、

プロの手で「私ここまでいけるはずだよな!」を教えてもらうのって、いいな、と改めて思いました。

 

そういうつもりで仕事していて、いつも施術で元気になって帰る人たちには

「それが本当のあなただから、それを保てる毎日過ごしてね!」

というつもりで自分でできることをお話しする、しゃべる鍼灸院なんだった。

 

しばらく自分が調子悪くなってなかったから、ちょっと忘れてたところがあるかもしれません、

ただ元気を押し付けてるみたいに暑苦しい店だったら、すみません。精進いたします。

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

元気にしてくれるプロをたまに使って、

「自分はここまで元気になれるんだな」

を体験すると、毎日の養生楽しくやれるようになるよ。

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元気なさすぎて、暮れに届いてた久高島のしめ縄、やっと3月に飾れた。

 

 

 

 

 

父の介護的生活でつらかったこと(忘備録)

父の四十九日法要も済み…と書きかけてからすでに1ヶ月。

 

うちは実家が引っ越していたり、父が長く患っていたりしたので、いろいろの片付けはさほど大変ではなくて、私が忌引からお正月への休みボケからの復帰リハビリをしたり、新型コロナで保育園が休園したりしているうちに、あっというまに3ヶ月。

 

正直、父の死にきちっと向き合って消化しきれていない気はしている。

 

だけども、結果的に父の最期の日々(そんなふうには思っていなかった)に私が感じていたつらさはじわじわと、だけどけっこう早く失われていっているので、ここで少し書き留めておきたいと思う。

全くの個人的な経験と気持ちの記録なので、特に役には立たないし責任も取りませんのであしからず。

 

 

今となっては、

 

「なんであんなにしんどがってたんやろ…今から思えば大したことじゃないのに。

もっと父に優しく接することはできたんじゃないか?

私は人としてなんてひどいやつなんだ」

 

とか思いはじめて、自分を責めたりしてしまいそうになってきている。

もう、あのとき自分が感じていた「つらさ」を忘れ始めている。

 

まず事実として、私は父の「介護」と言えるようなことはさほどしていない。

一緒に暮らしたのも1年と数ヶ月。

 

父はパーキンソン病を長く患って、弱ってきてはいたけれど、最後は週に2日半日ずつ、自分が開業したクリニックの名誉院長として出勤していた。

紙パンツにはなっていたけど、自分で着替えて、それを袋に入れてゴミ箱に入れられていたし、いわゆる下の世話は全然していない(特大の粗相は数度あってその処理はした)。

食事も、最後になった1ヶ月は転倒で手が動かなくなったけれどもそれでも自分でなんとか食べていて、私たちは食事介助もしなかったし、特別なメニューも用意していなかった。亡くなる2日前はハンバーグを食べていた。

 

なので、「お世話の手間がしんどい」というほどの量はなかったはず。

 

それでもつらかったのは、私の気持ち。

ブーメランみたいに戻ってくる、自分への叱咤、批判、攻撃。

 

 

私と父の関係は、私が高校生だった頃のある出来事によって希薄になってしまっていて、同居するまでは「病気、大変やなあ。知らんけど」ぐらいのことだった。

 

それが同居して毎日、病気と老いを目の当たりにし続けるようになって、そのことに自分がじわじわとダメージを受けるようになって、そしてそれが蓄積していった。

 

誰にでも病気や障害は訪れる可能性があって、

老いは確実に自分にもやってくる。

それを具体的に毎日見せられて、自分の未来への不安と怖さが迫ってくる。

 

父本人だって望んで得た病ではないわけで、

それはよくわかっているから、いろいろ不自由になって手間がかかるのを責める「べきではない」し、「もっと本人を尊重すべき」。

 

わかってるのに、怖さが先に立って「見たくないのに毎日見せられてる」という苛立ちになって、余裕のなさからそれを態度に出す。

そしてその態度のひどさは「そんなことすべきではないのに」とまた自分に戻ってくる。

 

私は医療従事者だから、「病気の人には優しく接するべきだ」「いちばんつらいのは本人だ」と、客観的には思うのに、できない。

ってまた自分に戻ってくる。

 

とにかく、自分の器の小ささを毎日つきつけられて、ほんと、しんどかったな。

 

 

最終的に、父は家で息をしてないのが見つかって、救急車到着まで私が胸骨圧迫(心臓マッサージ)をして、一度蘇生(心拍が戻った、意識はない)してそのまま病院でその日のうちに亡くなった。

 

言い方が難しいけど…

今の日本で生きていて、医療の恩恵を受けながら、という中では最大限に「生き物っぽい」、亡くなり方だったんじゃないかと私は思う。

 

「延命治療は望まない」「無理やり生きているのはいやだ」

という論調は聞くことがあるけれど、

「もうすぐ死んでしまうような状態の人」

はケアなしには生活はできないし、そのケアをする人は「もうすぐ死んでしまうような状態」を少なくとも「見る」ということをしないとならなくて、

それは、私が体験したようなマイルドなものであっても、けっこう、疲れるし、怖い。

 

家であの感じを見ないで、病院がお世話してくれるんだったらそりゃ、ありがたいよな…って思う。

だけどうちの父は入院することも、訪問でのケアもすごく嫌がってたので、

不機嫌な娘に八つ当たりされ続ける毎日でも、ほぼ家で亡くなってよかったのかな…と解釈することにしている。うまく死ぬのって、どうしたらいいんだろうなあ、という問いは残ったまま。

 

私は高1の化学で1学期に11点を取って医学部受験を諦めたのだけど、よかったと思う。

生き死にに関わるところに責任を持って関わり続けるのは、私には荷が重すぎる。あれが日常って…すごい。

(当時の担当、奥田先生は「君のミスは全部算数レベルやから(モル計算だった)、ちゃんとやればできると思うけど」って言ってくれたけど)(化学、大好きだったけどな…)

 

 

亡くなる直前の自分の余裕のなさからのひどい態度については、しばらく自責の原因になってまた夜中に眠れなくなっていたりしたのだけど、時間がたって、日常がばたばたしすぎて気にならなくなってきました。

というか、もう少し視点を離して、高校生の頃から20年以上、精神的な距離のあった人に、そこそこがんばって向き合えたかなとは思うようになっています。

あと、息子と父が同居できたのは、父にはよかったから、それで勘弁してもらいます。

 

 

今日は…養生的な視点、どうかなあ。

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

頭の中にもやもやとある重いことは、いちど外に出してやるのもいい。

話したり、文章にしたり。

 

そして、時間が解決することって、ある。

時間しか解決しないこともあるので、急いでなんとかしようとしない。

あと暇だと余計なことを考えてしまうので、適度に忙しいのもヨシ。

 

 

ここまで読んじゃった人ありがとうございました!

 

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家族にはバカウケの「あのリュック!」多分30年は使ってました、父が。

 

 

 

 

 

 

たまにはダラダラするのもよし

今日は四十九日法要で、お昼にお鮨を隣の大将のところで取ったら、お供えしといて、って余分に巻き寿司ももらって、

 

今夜はそれ食べとけばいいし、雨と法事疲れ、明日も仕事休みだし(コロナ休園中)、

 

『マンダロリアン』見ながらソファでゴロゴロ二人でお鮨食べて、息子氏はレゴ。

 

こんなに「ちゃんとしてない」夜は久しぶりかも。

 

それでもさほど体調悪くするような感じでもないし(食べてるし、朝は寺を歩いたり走ったり、昼寝も)、


なんかたまにはこんなんもいいのかなあと思う。

 

息子氏もなんかマッタリして「かあちゃんきもちいいね」とか言っててさ。


そうだね〜。
この後はお風呂に「日本の名湯」入れて浸かって、寝ような。

 

ちゃんとしようとする圧が強すぎるのかもな、私のふだんの毎日は。

まあ収入はないんだけどさ今週。

 

四十九日に思うこと、は、昼間途中まで書いたけど放置してるのでそのうち書きますね。

 

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

 

そこそこちゃんとした毎日で、

たまにダラダラするのがすごく楽しい。

 

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