ゆまにて日記

京都・左京区の鍼灸院 女性鍼灸師ゆにからの毎日のお知らせ

父の介護的生活でつらかったこと(忘備録)

父の四十九日法要も済み…と書きかけてからすでに1ヶ月。

 

うちは実家が引っ越していたり、父が長く患っていたりしたので、いろいろの片付けはさほど大変ではなくて、私が忌引からお正月への休みボケからの復帰リハビリをしたり、新型コロナで保育園が休園したりしているうちに、あっというまに3ヶ月。

 

正直、父の死にきちっと向き合って消化しきれていない気はしている。

 

だけども、結果的に父の最期の日々(そんなふうには思っていなかった)に私が感じていたつらさはじわじわと、だけどけっこう早く失われていっているので、ここで少し書き留めておきたいと思う。

全くの個人的な経験と気持ちの記録なので、特に役には立たないし責任も取りませんのであしからず。

 

 

今となっては、

 

「なんであんなにしんどがってたんやろ…今から思えば大したことじゃないのに。

もっと父に優しく接することはできたんじゃないか?

私は人としてなんてひどいやつなんだ」

 

とか思いはじめて、自分を責めたりしてしまいそうになってきている。

もう、あのとき自分が感じていた「つらさ」を忘れ始めている。

 

まず事実として、私は父の「介護」と言えるようなことはさほどしていない。

一緒に暮らしたのも1年と数ヶ月。

 

父はパーキンソン病を長く患って、弱ってきてはいたけれど、最後は週に2日半日ずつ、自分が開業したクリニックの名誉院長として出勤していた。

紙パンツにはなっていたけど、自分で着替えて、それを袋に入れてゴミ箱に入れられていたし、いわゆる下の世話は全然していない(特大の粗相は数度あってその処理はした)。

食事も、最後になった1ヶ月は転倒で手が動かなくなったけれどもそれでも自分でなんとか食べていて、私たちは食事介助もしなかったし、特別なメニューも用意していなかった。亡くなる2日前はハンバーグを食べていた。

 

なので、「お世話の手間がしんどい」というほどの量はなかったはず。

 

それでもつらかったのは、私の気持ち。

ブーメランみたいに戻ってくる、自分への叱咤、批判、攻撃。

 

 

私と父の関係は、私が高校生だった頃のある出来事によって希薄になってしまっていて、同居するまでは「病気、大変やなあ。知らんけど」ぐらいのことだった。

 

それが同居して毎日、病気と老いを目の当たりにし続けるようになって、そのことに自分がじわじわとダメージを受けるようになって、そしてそれが蓄積していった。

 

誰にでも病気や障害は訪れる可能性があって、

老いは確実に自分にもやってくる。

それを具体的に毎日見せられて、自分の未来への不安と怖さが迫ってくる。

 

父本人だって望んで得た病ではないわけで、

それはよくわかっているから、いろいろ不自由になって手間がかかるのを責める「べきではない」し、「もっと本人を尊重すべき」。

 

わかってるのに、怖さが先に立って「見たくないのに毎日見せられてる」という苛立ちになって、余裕のなさからそれを態度に出す。

そしてその態度のひどさは「そんなことすべきではないのに」とまた自分に戻ってくる。

 

私は医療従事者だから、「病気の人には優しく接するべきだ」「いちばんつらいのは本人だ」と、客観的には思うのに、できない。

ってまた自分に戻ってくる。

 

とにかく、自分の器の小ささを毎日つきつけられて、ほんと、しんどかったな。

 

 

最終的に、父は家で息をしてないのが見つかって、救急車到着まで私が胸骨圧迫(心臓マッサージ)をして、一度蘇生(心拍が戻った、意識はない)してそのまま病院でその日のうちに亡くなった。

 

言い方が難しいけど…

今の日本で生きていて、医療の恩恵を受けながら、という中では最大限に「生き物っぽい」、亡くなり方だったんじゃないかと私は思う。

 

「延命治療は望まない」「無理やり生きているのはいやだ」

という論調は聞くことがあるけれど、

「もうすぐ死んでしまうような状態の人」

はケアなしには生活はできないし、そのケアをする人は「もうすぐ死んでしまうような状態」を少なくとも「見る」ということをしないとならなくて、

それは、私が体験したようなマイルドなものであっても、けっこう、疲れるし、怖い。

 

家であの感じを見ないで、病院がお世話してくれるんだったらそりゃ、ありがたいよな…って思う。

だけどうちの父は入院することも、訪問でのケアもすごく嫌がってたので、

不機嫌な娘に八つ当たりされ続ける毎日でも、ほぼ家で亡くなってよかったのかな…と解釈することにしている。うまく死ぬのって、どうしたらいいんだろうなあ、という問いは残ったまま。

 

私は高1の化学で1学期に11点を取って医学部受験を諦めたのだけど、よかったと思う。

生き死にに関わるところに責任を持って関わり続けるのは、私には荷が重すぎる。あれが日常って…すごい。

(当時の担当、奥田先生は「君のミスは全部算数レベルやから(モル計算だった)、ちゃんとやればできると思うけど」って言ってくれたけど)(化学、大好きだったけどな…)

 

 

亡くなる直前の自分の余裕のなさからのひどい態度については、しばらく自責の原因になってまた夜中に眠れなくなっていたりしたのだけど、時間がたって、日常がばたばたしすぎて気にならなくなってきました。

というか、もう少し視点を離して、高校生の頃から20年以上、精神的な距離のあった人に、そこそこがんばって向き合えたかなとは思うようになっています。

あと、息子と父が同居できたのは、父にはよかったから、それで勘弁してもらいます。

 

 

今日は…養生的な視点、どうかなあ。

 

【ゆにさんの、きょうの養生ポイント】

頭の中にもやもやとある重いことは、いちど外に出してやるのもいい。

話したり、文章にしたり。

 

そして、時間が解決することって、ある。

時間しか解決しないこともあるので、急いでなんとかしようとしない。

あと暇だと余計なことを考えてしまうので、適度に忙しいのもヨシ。

 

 

ここまで読んじゃった人ありがとうございました!

 

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家族にはバカウケの「あのリュック!」多分30年は使ってました、父が。