放っておくと吉田先輩の話ばかりしてしまいそうな私ですが、もうちょっと、関係する話をさせてもらいますね!
ちなみにこのコラムすごく好きでした。
吉田先輩素敵だわ、という話を、先輩が銀メダルを取った直後にtwitterでしていたのですが、その中で「私も筋トレ頑張ろう、ってそれは違うか」って言った人があって、
いや、案外それって違わない。
と思いました。
オリンピックやその他、メディアで大きく取り上げられるスポーツを見て、
「元気をもらいました」
「勇気をもらいました」
「ありがとう!」
みたいなコメントがされることに、なぜか違和感がありました。
その、いわゆる「モヤッとする」感じが、いまいちなぜなのか自分でもよくわかっていなかったのですが、今回ちょっと理由がわかったように思います。
「もらうだけ?」
って思っていたんだと思います。
もらうだけもらって、返さないの?という意味でもあり、もらうだけでその後には何も起こらないの?という意味でもあり。
いや、べつに返さないでもいいし何も起こらないでもいいのですけど。
もったいない!という気持ちに近い。
私は競技スポーツの現場で仕事をしていたから、アスリートが必死で準備して、試合を戦って、結果は出たり出なかったり、そんな姿を見せてもらうことには、具体的に学びがあったし、具体的に自分の仕事に還元していくことができました。
「勇気」や「元気」さえも、自分のチームに影響がありました。
だから、見て、「わー、すごいなあ」と思って、それだけってもったいない!と思っていたのかな、と思います。
いま、チームを離れてみて、私はそれを直接には具体的に還元することはないのですが、ごく単純に、アスリートのかっこいい体を見て、
「ヨシ走ってこよ!!」
と朝ランニングしたりはするわけです。
そのきっかけをもらって、「ありがとう!」です。
吉田先輩の、後輩へのまなざしを見ていて、私も後輩を大事にしよう、何かできることはないか、と考えます。これはまだ考えているだけだけど。
スポーツやアスリートの物語が、ただ消費されるだけなのには何か違和感があるけれど、こうして誰かが何かを変えるきっかけになったりして、それがまたその人やその人の周りの人を幸せにするならいいなと思う。
一人の、チームの頑張りがそれだけ、多くの人の何かを変える力を持っている、それがスポーツの良さのひとつだと思う。
そして、「何も返していない」ように見えて、
例えばアスリートを見ていてヨシ走ってこよ、という人やなにか運動始めよう、という人が増えて、みんなが健康になって医療費が下がって文化芸術予算が増えてトップアスリート強化の環境が良くなるとか、
自分が運動を、軽くでも始めることによって、選手がやっていることのすごさがより具体的にわかるようになって「ほんますごいな!!」ってなってもっと好きになったり、
好きになった結果観てみたい!と思って観戦に出かけてそのお金がアスリートの強化に回ったり、
するかもしれない。
風が吹けば桶屋が儲かり、メダルを取ればアスリートが潤う。
(いや、アスリートはもっと直接にサポートされてほしいけど)
なんにせよ、「わー感動したー」「すごかったー」が、何か違うエネルギーに変わって、他のところに現れるのはいいことだな、もっと起こってもいいな、と思った。
ただ感動するだけでなくて、それを何かの形にしていっても、いいんじゃない?
私も吉田先輩を見て、からだしっかりしたい!、と思ったし、地味にトレーニングをしつつもあります。ラジオ体操続けてみたり、ヨガしたり、走ったり。
ちなみに吉田沙保里さんはもちろん年下ですが、尊敬の念を込め、そして雰囲気的に先輩としか呼べないッス。