ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

「レシピを見ないで作れるようになりましょう。」

 

レシピを見ないで作れるようになりましょう。

レシピを見ないで作れるようになりましょう。

 

 おかしい、雑誌1冊買いに行ったはずなのにまた違う本買ってる…(病気?)

 

有元葉子さんの本は好きでお世話になっているのですが、新しいのが出ていて、考え方が好きでついつい買ってしまいました。

 

タイトルが全て。

「レシピを見ないで作れるようになりましょう。」

そう、毎日の料理やからね、レシピなんか見ないことが多くて、ぞれでおいしいものを食べたい。

 

この本、本当に「レシピ」っぽいもの…「しょうゆ小さじ2」とかそういうの、全くありません。

 

 

その代わり、料理の手順が、美味しくなるコツとともに書かれています。

例えば野菜炒めだったら、

 

「鉄のフライパンを強火にかけて、から焼きします。うっすらと煙が立つほどに熱く熱して、油をひきます。(中略)

 野菜は、甘みやうまみを含んだ”自分の水分”でおいしく熱せられるわけです。(中略)

 野菜を単品で炒めるときは、すべてこのやり方です」

 

こう書いてあってそれを理解したら、「◯◯炒めの作り方」のレシピを見なくても、どんな野菜でもおいしく炒められるようになる。

(ちなみにお肉と野菜、何種類かの野菜を炒める方法も載っています)

 

 

なんでもそうだけど、細かく枝葉のことをたくさん積み重ねる、という学び方と、根本・幹の部分を学んで枝葉に応用していくのとあります。

枝葉が広い分野ほど、根本を学んでしまった方が奥の深さを楽しめるし、外さない。

 

料理でいえば「豚バラ肉とにんじんとキャベツのみそ炒め」の作り方、っていう感じで覚えるより、この有元葉子さんの本みたいに「旨味の出るお肉類と野菜に味付けして炒める方法」を学んだ方が広がっていく。

 

 

以前におすすめした土井善晴さんの「おかずのクッキング」も同じことで、根本を教えてくれるので広がりがあります。

 

humanite.hatenablog.com

 

 

私も、こういう伝え方できるようになっていきたいな、と思いました。

そういうおじさんおばさん、素敵。

 

 

ちなみにこれも持ってて、似た感じでコツも文章でけっこう載ってます。

こちらの方が密度が濃いしレシピもけっこう載ってます。

どっちが好みかですね。

 

1回作れば3度おいしい作りおきレシピ

1回作れば3度おいしい作りおきレシピ

 

 

いつのまにか終わってる

昨日、ケイマナヨガスタジオさんで「骨」についてのお話をするワークショップが終わって、今年夏から続いた、呼んでいただいてのワークショップが終わりました。

 

ヨガ講師のキノシタケイコさんと作ったこのワークショップ、京都、一人で大阪、またふたりで東京、そして今回京都と、回を重ねるごとに楽しく、深くなってきました。

 

 

春先に近所のstudio monk主宰のErinaさんと「なんか勉強会やりたいね」ということで始まった東洋医学のワークショップと、それに続く骨のワークショップ。

夏頃から企画して「12月に」ということに決まったときは「12月って…いつ?」っていうぐらいだったけど、その間に企画された大阪、町田も全部、

いつのまにか終わってました。

 

 

昨日帰ってきて、2階で干してるたくさんのバスタオルを見てふと、

「今年もタオル、干したなあ…」

としみじみ思ったのです。

 

私は洗い物も苦手ですが洗濯干すのもキライなんですよ!(いばることか)

 

施術で使うたくさんのバスタオルを洗って、濡れて重たいのを2階まで持って上がって、1枚1枚も重たいのを広げて干して…ああ、いま考えててもめんどくさい。

 

でも、昨日見てたら、その前の日に干した4組があるだけで、それまでどんなにめんどくさい、イヤだなと思ってたとしても、なんだかんだで毎日干して、乾いたら乾燥機ちょっとかけて、畳んでしまって、また使って、洗って…

ずっとやってきたんだな。

干してないタオルが山のようになったりしてないもの。

 

そう考えたら、それだけ、「めんどくさいけど、やる」を続けてきたわけで、なんかそれだけでえらいがんばってきたやん、自分、と思いました。

ワークショップ準備してしゃべる、も偉いけど、毎日洗濯してそれがたまってないってだけで相当の偉業やなと!

 

 

ものすごい拡大解釈でアホみたいに楽天的ですけど。

どんだけ家が散らかってようがコンビニでごはんになっちゃってようが朝起きれなくてぐずぐずしてようが、

今日とりあえず生きてる

ってだけで、絶対細かいこといろいろ積み上げてきたはずで、なんかそれで十分すごいんちゃうの。

 

って昨日、私はタオル見て思いました。

まあ、私は生きてる上にタオル干してきたから相当すごいけどな!!

 

 

そんなわけでメリークリスマス。

生きてるだけでおめでとう!

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昨日のワークショップ後に「よかったら軽食用意してますから〜」っていって出してもらった、全部手作り(キムチも!)のピビンパ。

美味しすぎて、ワークショップ後の懇親会っぽい場なのに誰一人ひとっこともしゃべらなかったよね!!

 

 

わかってる、という強さ

久しぶりに、気分の落ち込みをみました。

 

以前、数年前はしょっちゅう、気分が落ち込んで右往左往することがあったけれど、今回はずいぶんと久しぶりでした。

 

きっかけはある知らせで、それ自体は本当に大したことではなかったのに、その知らせの中の言葉に自分が反応したみたい。

もうとっくの昔に済んだこと、どうでもよくなったことだと認識していたことが、急に動き出して気持ちがふさいだ。

全部忘れることはできないから、しょうがないかな。

 

 

ただ、今回はそんなふうになった理由にいくつか思い当たることがありました。

 

2日前に焼肉に出かけて、調子に乗ってたくさん食べたこと。

そしてそのまま寝不足ぎみになったこと。

期限が決まっているのに終わっていない仕事があったこと。

南の方に台風が2つ同時にあったこと。

朝晩の冷え込み、そして日没の早さ。

 

どれを取っても、一つ一つ、ほんとに小さなことだし、気分に関係あるの?というようなこと。

 

だけど私は、それが自分の気分に影響する、ということを「わかってる」。

気分の前に、フィジカルに、体調が良くなくなるとそうなってしまう。

 

この、「わかってる」ということが強さになります。

 

ああ、そうなんだな、だから今自分は気分が落ち込んでいるんだな、とわかるから、一つ一つ解決すれば元に戻れる、ということも「わかってる」。

 

今回は気象のこともあったから、過ぎるのを待つ、というのが解決方法だっていうこともあったけど、他のことを改善するだけでもずいぶん浮上できたし、その間ずっと気分が落ち着いてはいた。低いままでも。

 

気分の上下に振り回される、というの、私も30歳過ぎてもずっと思春期みたいにやってたけど(!)、そしてそれはもう私の性格だから仕方ないと思ってたけど、多分、半分以上は

「生活習慣」

だったなと思います。特に睡眠とごはん。

 

疾患、というレベルでなかったら、気分に振り回されるの、体からコントロールすることができることが多いです。

そしてそれができると、毎日ずいぶん楽しくなるし不安がへります。

そういう相談には、乗れる仕事、してます!

 

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あんまり落ち込み続けるようだったら食べよう、と思って買ったチョコレートだけど、必要なさそう。もう、買う段階で「やけ食いしないですみそうだからちょっといいやつ買っとこうかな〜」って、浮上してるもんね。

 

ちなみに、甘いものをやけ食いすると、気分の落ち込みは悪化することが多いですよ!

気持ちはわからないでもないけど。

 

 

そこ、頑張りどころじゃない!

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内容と関係ないんですけど、今年もシクラメン買いました。

近所の店で680円。絶対おかしい。安すぎ。

 

 

 

この秋から冬にかけて買った、私の3種の神器。

 

MacBook 12インチ

ガス乾燥機

食洗機

 

 

MacBookは、ここのところ外の仕事が増えて、プロジェクターと、7年もののCDスロットつきMacBookProを背負っての移動がしんどかったのがずいぶん軽くなりました。

 

ガス乾燥機は、冬にかけてバスタオルが全然乾かなくなり、歩いて1分のコインランドリーに通っていたのが家でやれるようになりました。

 

食洗機は別エントリでも書きましたが、「洗い物が苦手」という気持ちごと持っていってくれました。 

humanite.hatenablog.com

 

 

3つとも、導入してみて改めて気づくことは、

「気が重い」ってことも、コストなんだな、ということ。負担なんですね。

 

移動が嫌だな、と思うこと、洗濯や洗い物が嫌だな、と思うこと、という気持ちの重さは、それをやっていない時間の自分の中にもずっとあって、やってないのになんかいやーな気分が混ざってくるんです、他のことをしている時にも。

 

それが根こそぎなくなりました。

 

明日荷物重いのに遠いな〜…

今日のご予約何人だから、この隙間にコインランドリー行って…明日はコインランドリー定休日だから今夜のうちにもう一回…

食器洗わないといけないけど台所寒いな…

 

そう思ってる時間がどんだけあったか!

ということに気がつきました、なくなってみて。

すごくあった!

(私が気にしすぎるタイプっていうのもあるけど)

 

 

 

そしてもう一つ。

3つとも、

「まあ、私が頑張ればどうにかなる」

ということでもあったんです、これ。

だから、頑張ってました。めんどくさいと戦って。

 

でも、そこ、頑張りどころじゃない

 

 

私が登山家になりたくて重い荷物はトレーニングだとか、洗い物マスターになりたいとか、ガス乾燥機はええとええと、なんも、思いつかない!そういうのになりたいなら別だけど、私はそういうことやりたいわけではない。

 

もっと、自分の仕事頑張りたいし、毎日の暮らし楽しみたい。

そのためにエネルギー使いたい。

 

 

 

この、

「頑張りどころじゃないこと」の見極めは、大事なこと。

 

私は今回、道具を買って労力を預ける、という方法を取って、それがうまくいきました。

 

それができない種類のことだったら、人に頼む外注する、とか、他にも方法があるかもしれない。

 

そうでなかったら、「それはやらないことにする」という方法も、ありえます。

あきらめる!という選択肢。

 

それは状況によって変わることでもあるから、「今は」しない、でもいい。

 

限られた時間とエネルギー、いつも、選んで注いでいきたいです。

 

 

 

 

自分のからだの地図

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先日、東京・町田のヨガスタジオRipplesさんで、「土台骨とあなたとヨガ」というワークショップの講師をさせていただきました。

ヨガ講師のキノシタケイコさんと一緒です。

朝から3コマ6時間のワークショップでしたが、楽しかったです〜。

記念撮影もほんと、楽しそうだな!

 

 

ヨガの中でも体を使う部分、いわゆるポーズ(アサナ、といいます)をするということでは、体のつくりを理解している、ということがすごく助けになると思います。

(回りくどい言い方ですけど、ヨガってただ体を動かすだけじゃなくて、精神まで含めた生き方、みたいなものだと思ってるので…長くなるからこのへんで)

 

 

今回は特に、「骨」ということに注目してみんなで学びました。

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骨格模型はないスタジオだったので(っていうかそれが普通よね…)、京都から上肢と下肢を宅配しました。

 

 

たとえば手の甲、足の甲、って言いますよね。

手の甲、足の甲って、亀の甲羅みたいな、一つのぺらんとした骨だと思ってませんか?

いま、少し触ってみてください。

指につながった、5本の骨があるのがわかると思います。

 

 

そんなふうに、「ここにこんな骨あったの?!」っていう部分、体の中にたくさんあります。

背骨は何個あると思いますか?

 

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 なんと、合計24個もあるんですよ。

 

 

人づてに、トップアスリートでも背骨を「5個」だと思ってた選手がいる、という話を聞きました。

反対に、ダンスをされている方に尋ねてみたら、「40個くらい?」というお答え。

 

これ、面白いなと思いました。

背骨が40個ある、と思ってたら、それだけ細かな動きができるでしょう。

5個だと思っていたら、その間にある関節は4個。首から背中が「曲がる場所」が4個しかなかったら、そういう動きになりますよね。

 

 

だから、自分の体がどうなっているか?という「自分の地図」、精密であればあるほど、体を使ってできること、って増えると思っています。

 

 

これは骨や筋肉だけではありません。

おなかの中の内臓はどこにあって、どうやって働いているか?

さらには、自分の気持ちはどんなつくりになっていて、どんな時どんな反応をするか?

 

そういう、自分の「地図」を把握していればいるほど、自分をうまく使って生きていけると思います。

 

 

教える、しゃべる技術、それから

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京都のゆまにてを閉めて、お江戸東京で仕事をさせていただきました。

 

ヨガスタジオで、ヨガのインストラクターやヨガをやってる人たち向けに、「解剖学」、特に「骨はどんな形をしていて、どんなふうに動くか」をお伝えするというワークショップです。

 

「解剖学」というと、医療系や体に関わる仕事をしている人にはどの分野でもまず真っ先に学ぶべき、基礎的な学問なんです。

私も体育学部と鍼灸学科で何年も授業を受けて学びましたが、

「必要である」

「試験がある」

という理由で必死で学んだけれど、その時には「楽しい」と思うことはできなかったです、正直言って。

 

でも今日は、参加してくださったみなさん、楽しそうでした!

自画自賛だけど、ほんとに。

 

むつかしくもできることを楽しくお伝えする、というの、得意なんです。

それは専門学校の先生(専任、非常勤とも)を長くやってきた中で身につけてきた「技術」です。

高校生のチームを長くみてきた中でも必死で鍛えられました。

 

確信を持って技術を磨いてきて、やっています。

 

しゃべるのは昔から好きですけど、ただのおしゃべり好きだから教えられているというのでは、ないんですよ〜。

 

 

そしてそれから。

技術だけじゃなく、今私には

「解剖学、楽しい!」

「これ、知ってた方が毎日が楽しい!」

という、ハイテンションな気持ちがあります。

 

技術だけじゃなく、その気持ちが、伝わってるのかなあ、と私は感じてます。

 

こないだは骨の形について

「ここのこんなくぼみが生まれつきあるなんて、神さまオシャレすぎませんか⁈」

って熱く語ってやや引かれましたので、このテンションのコントロールは今後の課題なわけですが。

 

 

私は今やっている仕事、好きでやってるので楽しいし、それを相手に届く形にして伝えるのは得意なことなので、これからも私をうまく使ってくださいね!

施術中に訊きまくってくださっても、なんか講師で呼んでくださっても。

 

 

やめないでこつこつ

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またお見苦しいものをアップしておりますが。

 

先週くらいに、お風呂で久しぶりに、ほんとに久しぶりに自分の足をしげしげを眺めることがありました。きっかけは忘れましたけど。

 

久しぶりに見てみたら、形が変わったなあ、と思ったのです。

 

私は中学・高校と陸上競技をやっていましたが、その頃から足がぺったんこで、踵の骨が傾いて土踏まずが下がり気味で、それもあってよく故障をしていました。

 

骨がどうこうとかは後になって自分が勉強してわかるようになったことで、その時はとにかく「ぺったんこで広がった足だなあ、いやだなあ」と思っていただけでしたが。

 

 

それからいろんなことを勉強してわかるようになって、でもその時にはもう長くぺったんこの足で関節も緩んでいたし、これが変わるには時間がかかるだろうなあ、ということもわかってしまいました。

 

でもそれでも、毎朝すこーしだけヨガをやる時にも、例えば信号待ちで、エスカレーターでエレベーターで、仕事中にふと気づいても、踵の骨を立てて、整える、ということを地味〜にずっとずっと、やってきていたのです。

 

そしたら、確実に足の形が変わりました。

 

足は土台ですから、足のつき方が変わると立ち方も変わるし、確かにもう長く、腰やら脚やらに不調はほとんどありません。

 

 

私は施術を受けられた方によく、

「いま、いい形になっているので、これを覚えるようにがんばって、気づいたら時々動かしてみてくださいね!」

と言うのですが、結局自分をいいように変えてそれを保つには、これしかないんです。

 

みなさん、「どんな体操したらいいですか?」「ジムとか行った方がいいかしら」などと相談されますが、本当にやりますか?!

私は今、そういう時間と余裕、ないです!!(言い切った)

でも、自分を変えることは、できます。

「気がついたときでいいから、やってくださいね」

をどうも、軽く聞き流されてしまっているかもしれませんけど、それがいちばん大事だよ、っていうことをもっと、私も言っていかないとなあ、と改めて思いました。

 

ずっと言ってますが、「やめてへんし」マジックワードに!

挫折したーとか言って自分のことは責めないでいいです、やめてない、休んでただけ!と、かる~く戻ってきてまた続けたら。

 

私が「足の感じが変わったなあ」と思うようになるのには、少なくとも年単位の時間がかかってます。

でも、もっと早くに変化が出ることがほとんどだと思いますよ。

 

 

そんなこと言ってたら、研修でお世話になっていた若林先生が似たようなことをおっしゃってたので勝手にシェアしときますね。ツイッターに載ってたからいいでしょ!

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