ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

センスって作るもの

 

あっ!

というまにもう2週間ほど前のできごとになってしまいましたが、子(もうすぐ1歳)を連れて東京へ出張に行った中で、「季節の養生のお話とごはんの会」をやりました。 

 

f:id:anyuni:20190330194615j:image

 

私が、日々の養生の基本と春の養生についてお話をして、それに基づいた季節のごはんを友達が作って出してくれて、みんなで食べるというお昼の会。

 

私からは、春にはこんな食材を、調理法はこんな感じで、味はこんなふうだといいな、というざっくりした材料だけを事前の打ち合わせとしてメッセージで出して、そしたらその15分後には「こんなメニューでいこうと思う」というお返事が来て、当日はもう、それはそれはおいしいごはんがひと揃い。

 

体を整えるのは「休養・栄養・運動」の3つの柱からなっていて、だから日々何を食べるかはとっても大切。

 

だから、食べることについての話はいつでもしっかりしたいし、やっぱり具体的に感じてそれを日常で続けてもらうためには実際のごはんを見て食べるのがいい!と思ってはきたけど、自分にはそこまでの料理の腕がないな…と二の足を踏んでいたところに、強力な相方が現れた!のです。

 

やっぱり彼女はすごいなあ、センスあるなあ…私にはできないわ。

 

って一瞬思ったんだけども。

 

それは彼女に対して失礼だし、あきらめが早すぎないか?と思い直しました。

 

いろんなことについて「あの人センスあるなあ」ってほめることはあるけれど、その「センス」って、生まれつき持っているものばかりではなくて、考えて、情報を手にして、実際やってみて、っていうことを積み上げた結果にできあがっていることが多い。

私が「ごはん作るの好きだなあ、素敵にできるようになりたいなあ」とぼんやり思っているだけだった間に、彼女はその気持ちで実際に手を動かしてごはんを作ってきて、その結果の「センス」。

 

じゃあ私も、

「いいなあ彼女はこんな素敵なごはんが作れて」

って思っているだけじゃなくて、ひとつずつ、少しずつでも積み上げていけばいいな。

少なくとも、なんにも動かないで「いいなあ…あーあ、私にはないなあ」としょうもないところで自分にがっかりしてる場合じゃないな。

 

っていうか、特になんにもしてないのにそれですごくセンスのいいごはんを作れたら天才じゃないですか。それだったら料理人やった方がいいし。

 

そんなわけで、「いいなあ」と思うことには、そう思うならちょっとずつでも実際にやっていく。

改めて思う新年度…なので、文章もまた書こう、とここから復活してみました。(文章を書ける人にも憧れがあるからね!)

 

そうそう。

今日、2019年4月4日で、「ゆまにて ゆに鍼灸院」は4周年となりました。

なんとか続いているし、これからもいろんな形で続けていきたいです。

いつもありがとうございます。


f:id:anyuni:20190330194610j:image

年のせい、とか言わない!

f:id:anyuni:20190228121412j:image

 

反省して、感動しています。

 

「街なかで前かがみのおばあちゃんが歩いてるのを見た」

って簡単に言ってしまったとき、まあ、おばあちゃんやしなあ、ってなんとも思わないで終わっていた自分があったな、と思います。

この仕事をしているのに。

 

でも、そのおばあちゃんがいま、前かがみでゆっくりゆっくり歩いているのにはいろんな理由があって、これまでがあって、そのことを本人はどう思っているのか、どうしたいのか、そういうのって人それぞれに違います。

 

 

 

体についての知識もそう多くない、あちこち痛みやしびれもある、病院では「年のせい」と言われて、そうなのかなあ…と思っていたけど、ご近所の方の強い勧めで(ありがたい!)、うちに初めて来られた方。

 

でも、数回施術を受けられて症状が軽くなってくる部分もあり、例によって私がしゃべりまくって説明をたくさんしていたら、ご自分の症状や体の今の状態をしっかりと理解されて、

「もっと早くからトレーニングとかしておけばよかったんだけど、今からでもがんばります!」

とおっしゃいました。

そして、パーソナルヨガの予約を取って帰られました。

 

 

その時、私は「びっくりした」んです。

 

うちに来られる方で、

「病院で『年のせいです』って言われて…」

っておっしゃる方に、

「それで終わっちゃうのいやですよねえ、なんとかできることはしていきましょうよ!」

なんて言っていたけど、そんな自分も「前かがみでゆっくり歩くおばあちゃん」に、「そんなもんかな」って思っていたところがあったみたいです。

 

 

何歳になっていても、たとえもう固定されてしまって元には戻りようもない部分があったとしても、今より改善できることはある、これ以上悪くならないようにできるところもある。 

何歳の人にでも、それをわかって欲しいと思っているし、伝えているつもりで仕事をしてきて、こんなにはっきりとその通りに行動で見せていただいたことに自分がびっくりしてしまった。

 

まだまだ、私の中にも固定概念とか思い込みがあったんだな、とほんとに恥ずかしい気持ちです。

若いとか若くないとか、いま元気とか元気じゃないとか、なんかいろんなことで勝手に決めつけて、変わらないと思い込んでいる部分はないか?

私がそんなじゃ全然だめでしょう!

 

何歳からでもどこからでも、今よりも自分が望んでいるように、人は少しずつでも変わっていける。

それをもっと私が信じて、お手伝いしていきたい…っていうか、そうする!

 

すぐやる環境ととのえる!

f:id:anyuni:20190227195813j:image

 

フェリシモの、リサ・ラーソンの刺し子キットがやりたすぎて、ヨシまずはやりかけてるコースター作りを仕上げよう、となって今日はミシンを少し。

 

ミシン仕事ってミシンかけてる時間よりも切ったりアイロンかけたりしてる時間の方が長い…ってなって、なんか手縫いの方が好きだったりします。

 

年明けから、時間がない中でもスキを見て手芸(編み物、キルト、ミシン)をやりたい、特にあんまり仲良くなれてないミシンをやりたい!と思って、2階の押入れにしまってあったミシンを1階に持ってきてあったのだけど、それでもやっぱり、手が伸びない。

 

今日はお休みで、子が昨日のはしかワクチンの影響か体調が微妙だったのもあって家にいたので、やっと取りかかることができたのだけど、その中で気づいたのは、私は、

 

「ミシンのコードを引き出してコンセントにさしこむ」

 

のをめんどくさがっていたこと。

 

ものの5秒くらいで終わるのに、コンセントがちょっとかがまないと届かないところにあるってだけでめんどくさがって、やらない。

 

 

いろんなことに、こういう些細なトラップってあって、例えば物が置いてある場所とか向きとか、そんなことでも行動の障壁になるんだろうなあ、と感じました。

 

そういう意味でも、片付けとか、いらないものを置かない持たないという意味での断捨離って大事。

 

 

そして、忙しく、やることがたくさんある人ほど、やりたいことはちょっとしたスキにでもやれるように、すぐ手をつけられる状態にしておきたい。

今日は縫い終わったらミシンの下糸が切れたので、ボビンに糸を巻いて、上糸下糸ともセットしておきました。これでまた、次にすぐ縫える。

それから、延長コードを買いました。スイッチのついたやつ。さしやすいところまでコンセントを持ってこられるように。

 

 

あんまり、自分の気持ちとかマメさを信用しないで、環境から整えておくのって大事だなと実感する今日このごろです。

 

 

おかずを作り置き、というのは、だんだん味が濃くなったり、食べ切るのをプレッシャーに感じたり、飽きたりするので、手前までの準備にしておくのに落ち着いてきました。

ブロッコリーをすべて切って硬めに蒸しておいたり、鶏ミンチをゆでておいたり(これは子のごはん用)。

f:id:anyuni:20190227195847j:image

 

うらやましい!はまっすぐに

大好きなお友達のあやのさんが先日、こんなブログを書いていました。

まずはどうぞ読んでみてください。

rakudamoutaeba.com

 

私は人のことをうらやましい…と思って嫉妬することは多々あって、そして以前はそういうときにはとてもいやな気分になっていました。

 

たいていは、

「うらやましい」

→なんで自分にはないのか

→それは自分の努力が足りないからだ

っていうルートで、最終的に自分を責める方向になるので、そしてそれが最初からわかっていてイヤなので、

 

あ、いいな…うらやましいな…と感じそうになったら、その手前で

「でも、そうなると〇〇なこともあるから、やっぱり別によくないし」

「私にだって他に〇〇なことあるし」

とか言い出して「いいな〜」って素直に思わないようにする!というぐるっと回ってめんどくさいことにもなっていた。

 

でももう、めんどくさく考えるのがめんどくさくなってきて、最近はもう、

「いいな〜!うらやましいな!」

ってそれだけ思って、

「じゃあ私もそれに向かってやればいいよな!」

って行動にうつすことにしている。

 

あやのさんが書いているとおりで、

嫉妬の中身は

【相手への】

うらやましい

すごい、っていう尊敬

こうでありたい、ああなりたい 

【自分への】

悔しい

負けた

怒り

っていう気持ちがブレンドされていた。 

 っていうこと。

 

誰かを見て嫉妬する気持ちが芽生えた時に、どこに焦点を当てて大事にするか、ということの違いだけで、それがイヤな気持ちになるか、前向きに、どっちかというとうれしいエネルギーを産んでくれる気持ちになるかが変わる。

 

だから、相手のどんな部分に嫉妬しているかがわかると

それは自分の可能性、希望。

 

そういうこと。

 

 

私はいま、小さい子がいて自分の体力もままならなくて、やれることが限られている。

 

そんな中でも、いいなあ、私もあんなふうにやりたい、なりたいなあということには日々出会うし、どんどんそのリストは増える。

 

そのときに、あれもできないこれもできないと思っていると、どんどんしんどくなるし、その「できないということを考える」のにも時間をとられてしまう。

 

ただでさえ時間が足りないのに、もうそのしょうもないことを考え込んだり自分を責めたりしている時間も、エネルギーももったいない。っていうかそもそもそういう余分がない。

 

だから今は、「うらやましいな」「いいな」と思ったら、その中でいま自分ができそうなことを見つけて、ちょっとでも手を動かし体を使って、やってみる。

たった今できそうにないことは、ノートに書いたりevernoteに保存したりして、先の楽しみにとっておく。

 

そういうふうにしていると、

嫉妬できるような何かに出会って、自分が何を好きで何を求めているかがわかったことも、

時間やエネルギーの余分がなくてしょうもないことを考えられないことも、

なんかいま私ラッキーかもな!と思える。

 

そして、うらやましいな〜、と一瞬思ったとしても、じゃあ何かやるのか?と考えてみたら実は別に何もしない、ということは、たぶん本当にはやりたいことじゃない。

ちょっとはやりたい気持ちがあるのかもしれないけど、有限な人生においては残念ながらリストには入り切らない。

 

 

嫉妬できるような何かに出会ったら、こねくり回していないで、動いてみる!

もしくは、それについてじっくり考えてみる。

 

 

私はあやのさんのありようが日々うらやましく、いいな〜!と思っていて、

このブログエントリを書いたこともいいな!と思ったので、今日ここに自分の文章を書いてみました!

 

 

息子のこの服、北欧製なのに「ごはん」にしか見えない。

f:id:anyuni:20190224162738j:image

「必死」は「たまに」で

 昨日の黒板にこんなことを書きました。

 

以前、高校サッカー部のトレーナーの仕事を始めてしばらくした頃に、監督がおっしゃっていました。

「高校生は全力で練習や試合に打ち込む。そのために、指導者は全力でやってちゃだめなんだよ。大人が、指導者が普段を毎日全力でやっていたら、何かイレギュラーが会った時に対処することができない。」

 

その時30歳になるかならないかだった頃で、なんでも全力でやっていた私は驚きましたが、深く納得しました。

 

その時は部活の話でしたが、結局日常生活でも同じことなんですよね。

 

毎日毎日、休みなく続く日常生活。

「休みの日」があっても、それは仕事の休みであって、「生活」が休みになることはない、と言えるのじゃないでしょうか。

 

その毎日を送るのに、いつも自分の全力を出さないと回らないとしたら、それを続けるのって至難の業、というか、無理。

どこかで倒れるとか気持ちが折れるとか、不具合が起こるでしょう。

 

そのとき、「毎日の家事の効率を考え直そう」とか「体力をつけよう」とか「ぼーっとする時間をなくそう」とか、自分に理由を求めて自分を変える方向に考える人は多いですが、そうじゃなくて、

「そもそもその毎日の設定に無理はないのか?」

と考える視点も、持っていていいと思います。

 

そういうとすぐ「じゃあ転職!」とか大きなことを考えがちですが、

たとえば年賀状やめるとか、

洗濯ものをたたむのをやめるとか、

休みの日にいつも外へ出かけるのをやめるとか、

そういう小さいことから「生活の中でしないとならないと思っていることの量をへらす」という発想もありです。

 

だってぼーっとする時間もほしいから。

 

 

ひとつ話が戻りますが、

「うん、そうなんだよ設定に無理がある。」

という答えになることもあると思います。

たとえば子育て中でとにかく時間がないとか、

やりたいことの修行中で繰り返しと時間が必要だとか、

それこそ部活で全力がんばってるところだとか。

 

それも、「アリ」だという時期もある。

自分で「無理があるなあ」とわかっていて、でもそれでも自分で選んでやっているなら、いいんです。

できたら、期間が区切れるといい。

たとえ自分で選んでやっているとしても、それをずっとは無理だから。

 

 

必死、たまにはいいけれど、ずっとは続かないように、自分で選んで調整できるといいですね。

やることリスト・やりたいことリスト

昨日見かけたこのツイート。

 

さすがたらればさん、ツイートの短い文章で大事なことたくさん書いてある!

 

私もやることリスト、作ります。

どんな些細なことでも書いておきます。

 

ツイートの中に「懸念や不安」という「気持ち」の要素が入ってるのが実は重要。

忙しい時ってやることがたくさんあって、たくさんあること自体ももちろん大変なのだけど、

「何か忘れてることがあるんじゃないか」

「先にやらないとならないことがあるんじゃないか」

「こんなことしてる場合なのか」

みたいに、それこそ「懸念や不安」というのがあることが、実は頭のメモリをかなり使うし、それを持ち続けることでだいぶエネルギーをそがれます。

それがブレーキになって、ブレーキふみながらアクセルふかすような…ってそうか、それをたらればさんは「米俵背負って走ってるみたいな」と表現されてるのね。さすが。

 

 

ところでこれに加えて、私は「やりたいこと」もリストに書いておきます。

 

いつかハワイに行ってみたい、とかそういう大きいことではなくて。

「〇〇さんにはがきを書く」

「子のタオルに刺繍」

「この本の続きを読む」

ぐらいの小さいこと。時間にして数分とか、長くても1時間程度かな?くらいで終わるようなこと。

 

私はしょっちゅうやることリストを書き出しますが、それが全部スパっと終わることはほとんどない。

終わらないうちにリストにまた「やらなければならないこと」が追加されて、ある程度増えたら残っているいろいろを加えてまた新しいリストを作って。

 

そうしていると、いつまでも「やらなければならないこと」が片付かないので、「やりたいこと」ができない。

ふと時間ができて、やりたいことをやろうかな、と思っても、「いや、やらないとならないことがあるのに…」と気持ちがひっかかってしまう。

 

で、私のパターンとしてはどっちもやらないでとりあえずいろいろから逃避するためにだらだらとネット見てたりとか。しょうもない上にもったいない。

 

 

「やらなければならないこと」も、今すぐ!いつまでに!というのもあれば、少し猶予があること(そういうことこそ忘れないようにリストに入れておく必要がある)もある。

だから、ざっと見渡して、あとは急がないことばかりだな、というときには、小さな「やりたいこと」をやる。

 

そうすると、毎日忙しい、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、の合間に自分の好きなことをやる楽しい時間もちゃんとあって、ぼちぼちと物事が進むし、やりたいこともやれてるからさっと切り替えてやらなければならないことにも取り組めて、気持ちが健康で平和になる。

 

今は子がいて子にかかる時間もあるし、いろんなものが蔓延してるのでとにかく寝ることを優先してるからあんまりいろいろできないけど、それも一時のことだから。

この生活いつまで続くの…っていうときはしんどかったけどなあ。何も考えないで職場の文句ばっかり言って働いてたときのことですけど。子ども産んでからはそういうしんどさはほぼないです。

 

 

今やりたいけどなかなかやれないのは、手芸系。

編み物とかミシンとか。ストーブ前でじっくりやりたいんだけどもなあ。

ま、今年はむりかな。小さく分けて少しずつでもはさんでいきたい!

f:id:anyuni:20190131061759j:image

なんで早寝できないのかな?を考える。

f:id:anyuni:20190127165312j:image

年間パス買ったので思いつきで動物園に寄れるようになって楽しい。

 

早寝してしっかり睡眠時間をとると体調良くなりますよ!

というごく普通の話をすると「へえ、そうなんですか!」と返ってくることはあまりなくて、たいていは

「ですよね…(わかってるけどなあ、できない)」

という反応です。

 

いいってわかってるけどできないことの代表みたいなところありますよね、早寝。

 

なんでかな?

と考えてみて、私自身は考えてみたらここ6〜7年くらいはたいてい早寝をできているので、じゃあなんでできてるのかな?を考えるとヒントになるかもしれないと思いました。

 

考え方は大きく3つあります。

一つには、

「体調が悪い状態がイヤだし困るから」。

もう一つは、

「夜遅くまで起きていてやりたいこと、やらないといけないことがないから」

そして最後は、

「寝た方が体調がいい=寝ないと体調がいまいち」という実感が強くあるから」。

 

体調が悪いの、イヤだし困る

いちばんちゃんと早寝ができていたのは、横浜の桐蔭学園高校サッカー部でトレーナーをしていた3年間です。

最大180人くらいの男子たちのサッカー部のトレーナーをやっていて、週6日朝練で5時に起きて、朝と午後と2回練習。日曜や長期休暇は出ずっぱり。

 

そういう生活で、しかもトレーナーというのはまず元気が仕事なので、120%心身ともに元気いっぱい!な状態を維持するのは、しっかり寝るのが不可欠だったんです。

 

それは基本的には開業してからも同じことで、なんかだるい、元気なさそうな人がみてくれる鍼灸院、だめでしょう。

 

そういうわけもあって、まずは必要にかられて、「寝なければ!」と思って寝てます。

 

でも、寝ないといけないから寝てる、という、強制力でいやいやそうしてるというわけでもありません。

 

仕事じゃなくったって、寝不足でなんだか頭が重いとか、イライラするとか、やる気が出ないとか、そういう自分の状態がイヤなんです。

しんどいところ、いやなところがなく、機嫌よくすごしたい

 

一日が終わったら、寝たい。

いまの鍼灸院の仕事でも、サッカー部のときの仕事でもそうなんですけど、基本的に好きな仕事で、帰って寝る前に何かしてストレスを発散したい!という気持ちにならないから、スッと寝られる、というのはあります。

部活のときは、19:15までグランドにいて、家まで帰るのにバイクで10分、19:30頃に家に帰って、ごはん作って食べて片付けて、お風呂入って22時には寝てました。毎日。

「寝ないと倒れる」という圧と、「明日も元気に仕事したい」という欲

 

 

うちに来られるかたと話していてわりと聞くのは、

「仕事して帰ってきて、ごはん食べてお風呂入って、それだけじゃ自分の時間がなさすぎて、気持ちがしんどくなってくるんです!

 寝る前は唯一の自分の時間、ボーナスタイムみたいな感じなんです!」

というようなこと。

 

それはそれで、めっちゃわかるなあ…と思います。

 

仕事のストレスが強くて、あまり楽しめないでいる。

それで帰って、「しないとならないこと」であって別に好きでもないごはんとお風呂して、すぐ寝なさい、ってイヤだ〜!

そういう感じじゃないかなと。

 

これについてはやっぱり整理が必要だとは思います。

仕事や生活があまりにもあんまりな場合はそれを変える必要があるでしょう。

でもそれはできない、という場合は、休みの日に気晴らしをまとめるように考えて、少しでも昼間を楽しめるように体調を調える、ために早く寝るんだという気持ちの整理。

(このへんのことはもうちょっと考えてお話ししたい)

 

 

それでも、寝たらなおるから。

早寝したくない、好きなことやりたい、気持ちはわかるけど、

でも結局私は、しっかり眠れば体調が良くなって気分が落ち着く、寝ないとだめだな、ということを実感して、知っているから、もうちょっと編み物したいな〜、読みたい本あるな〜、ブログも書いておきたい…と思っても、寝るのを優先します。

 

慢性的に睡眠を優先しない状態が続いている人はこの「寝たらなおる」ってことをあんまり信用してないんだと思います。

ずっと寝たりてなくて疲れている人は、確かに1日や2日ちゃんと寝たくらいじゃすっきりしないことも多いからです。

 

私のたとえでいうと、それだけ早寝早起きにこだわってたサッカー部での3年間でしたけど、やっぱり蓄積された疲れがあったみたいで、京都に移ってきてすぐからは、まだ店がひまなのをいいことに毎日9〜10時間は寝ていました。

半年以上その生活を続けた頃、急に「あ、もう7時間くらい寝ればフル充電するわ」という状態になったのを実感して、それ以降は基本ラインを7時間にしています。

(今は子どもと暮らしているので時間は長めに取ってるけれども寝られてない)

 

 

さあ、どうしよう。

結局私は、「好きな仕事を、早寝できる環境でやっている」という点でラッキーなんだなという実感はあります。一般化は難しいのかなと。

 

 

ここまで考えてみて、「でも〜、寝たくないんだもの〜」という人たちに私は鍼灸院の人として何ができるかなあ、と思うと。

 

そんな帰りが遅くなる仕事はやめて!とかは言えるわけでもなし、やっぱり仕事としてできることとしては、

しっかり寝たらすっきりする、という体験をしてもらう

ということに尽きます。

 

からだの様子がいいのって、ほんとに、気分がいいものなんですよ。

考えかたやものの見かたも変わります。

…あかん、普通すぎて伝わってる感じがしない!でも真理なんだ!!

 

鍼灸師としては、来てもらって施術を受けてもらって、「力が抜けてよく眠れる」という状態を体験してもらうというのがストレートなやり方です。

体のこりとか痛みをとったり、おなかの働きをよくしたり、気が立ってるのを落ち着かせたり、そういうことです。

 

あとは…

すごく抽象的ですけど、ちゃんと寝て昼間元気な方が楽しいんやで、ということを、「こっち側」にいる人として伝えていくことでしょうか。

 

みんな「わかってる」けどやるには至らない、ということなんだから、「わかった、もうわかったから、やる」っていうことになるまでしつこく言うって感じかな…

 

それと、ちゃんと寝てる私が元気でいること!

これについては、夜中にうんうんんふんふいう子ゴリラと暮らしているのでなかなかの難題なんですけど、期間限定なわけなので非常識なほど早くふとんに入ることでがんばっていこうかなと思います。

そうだよ!寝られる人は寝てくださいよ!!(うらやみ)