大好きなお友達のあやのさんが先日、こんなブログを書いていました。
まずはどうぞ読んでみてください。
私は人のことをうらやましい…と思って嫉妬することは多々あって、そして以前はそういうときにはとてもいやな気分になっていました。
たいていは、
「うらやましい」
→なんで自分にはないのか
→それは自分の努力が足りないからだ
っていうルートで、最終的に自分を責める方向になるので、そしてそれが最初からわかっていてイヤなので、
あ、いいな…うらやましいな…と感じそうになったら、その手前で
「でも、そうなると〇〇なこともあるから、やっぱり別によくないし」
「私にだって他に〇〇なことあるし」
とか言い出して「いいな〜」って素直に思わないようにする!というぐるっと回ってめんどくさいことにもなっていた。
でももう、めんどくさく考えるのがめんどくさくなってきて、最近はもう、
「いいな〜!うらやましいな!」
ってそれだけ思って、
「じゃあ私もそれに向かってやればいいよな!」
って行動にうつすことにしている。
あやのさんが書いているとおりで、
嫉妬の中身は
【相手への】
うらやましい
すごい、っていう尊敬
こうでありたい、ああなりたい
【自分への】
悔しい
負けた
怒り
っていう気持ちがブレンドされていた。
っていうこと。
誰かを見て嫉妬する気持ちが芽生えた時に、どこに焦点を当てて大事にするか、ということの違いだけで、それがイヤな気持ちになるか、前向きに、どっちかというとうれしいエネルギーを産んでくれる気持ちになるかが変わる。
だから、相手のどんな部分に嫉妬しているかがわかると
それは自分の可能性、希望。
そういうこと。
私はいま、小さい子がいて自分の体力もままならなくて、やれることが限られている。
そんな中でも、いいなあ、私もあんなふうにやりたい、なりたいなあということには日々出会うし、どんどんそのリストは増える。
そのときに、あれもできないこれもできないと思っていると、どんどんしんどくなるし、その「できないということを考える」のにも時間をとられてしまう。
ただでさえ時間が足りないのに、もうそのしょうもないことを考え込んだり自分を責めたりしている時間も、エネルギーももったいない。っていうかそもそもそういう余分がない。
だから今は、「うらやましいな」「いいな」と思ったら、その中でいま自分ができそうなことを見つけて、ちょっとでも手を動かし体を使って、やってみる。
たった今できそうにないことは、ノートに書いたりevernoteに保存したりして、先の楽しみにとっておく。
そういうふうにしていると、
嫉妬できるような何かに出会って、自分が何を好きで何を求めているかがわかったことも、
時間やエネルギーの余分がなくてしょうもないことを考えられないことも、
なんかいま私ラッキーかもな!と思える。
そして、うらやましいな〜、と一瞬思ったとしても、じゃあ何かやるのか?と考えてみたら実は別に何もしない、ということは、たぶん本当にはやりたいことじゃない。
ちょっとはやりたい気持ちがあるのかもしれないけど、有限な人生においては残念ながらリストには入り切らない。
嫉妬できるような何かに出会ったら、こねくり回していないで、動いてみる!
もしくは、それについてじっくり考えてみる。
私はあやのさんのありようが日々うらやましく、いいな〜!と思っていて、
このブログエントリを書いたこともいいな!と思ったので、今日ここに自分の文章を書いてみました!
息子のこの服、北欧製なのに「ごはん」にしか見えない。