ゆまにて日記

京都・左京区の鍼灸院 女性鍼灸師ゆにからの毎日のお知らせ

講座『生理をものさしにして知る自分のからだ』@京都のお知らせ

伊勢での講座のこと

※記事の後半に、6/22(土)に京都で行う講座のお知らせがあります

 

先日、伊勢でまる1日かけて、3人の講師で「暮らしに持ち帰るオンナのカラダ喜ぶ講座」を行いました。

 

他の2人の講師は、看護師のにゃおさんと、性愛のスペシャリストでアマナインストラクターのお里さん

主催は、綾乃さん。綾乃さんって…肩書きなんだろう(!)。

(それぞれのお名前のところに、今回の講座について書かれたブログエントリをリンクさせてあります)

 

看護師のにゃおさんからは、デリケートゾーンの構造や洗い方を。
アマナインストラクターのお里さんからはホルモンと触れる愛おしむを体感する時間、ということで、「触れる」ということのしくみや方法を。

 

 

私の担当は「生理をものさしにして知る自分のからだ」ということで、東洋医学の考え方で自分の生理を観察することから自分を知り、自分に合った養生のしかたをお伝えする、というものでした。

 

女性にとっては日常にある生理や女性器(子宮、卵巣)については、日常にあるのになんだかタブー感があったり、真正面から情報を伝えてくれる場面が少なかったりして、なんだかよくわからないけどオープンに人にもきけない、ということになっていることも少なくない。

 

そしてその、オープンになっていないだけに、トンデモ系が、メンタル面の弱みにつけ込むようにして入り込んできたり、子宮万能説みたいな感じになっちゃったりすることも、あります。

デリケートな部分だけに、言っちゃったもん勝ちみたいな感じ。

 

それは…あかんやろ。

 

ということで、私の友人の綾乃さんが、私たち3人を集めて開催された会でした。

 

3人ともが、こころの部分も大切にしつつ、正しい情報を伝えて、「ちゃんとわかる」ことから始める、でも深みもある講座になりました。

 

自然に囲まれた素敵なおうちで、女どうし、安心していろんなことを尋ねたり、わかろうとしたり、シェアしたりできる、いい場でした。

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息子を放牧しつつ仕事をさせてもらって、ありがたい。

 

京都での講座のお知らせ

 

そんな講座の、私の担当部分を取り出した講座を、夏至の日6月22日に、京都市左京区の、これまた素敵なスペース「旅する布Yattra」さんで行います。

 

今回は私がひとりで講師なので、できる範囲で、伊勢でお二人がされていた講座の部分も内容に加えようと思っています。

 

6/22(土)
時間:13:00〜16:00
場所:旅する布yattra 京都市左京区高野泉町17
5000円(おやつとお茶付き)

 

講座の詳細は、以下のFacebookページをごらんください。

お問い合わせ、申込みは主催の綾乃さんまでお願いします。(メールアドレスが以下のページに書かれています)

 

 

www.facebook.com

 

 

伊勢での講座のとき、なんか渋い顔してもぐもぐしてるなあ…と思ったら、

 

てんとう虫を食べていた息子氏。捕まえたのかー。それはすごいけど。

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おいしかったん??

 

ちかごろのゆまにてさん

どうも、全然発信できなくなってます、店主です。

Twitterにはぼちぼちいますので、よかったらどうぞ…

@anyuni

 

さて、最近のゆまにてさん。

 

「ゆまにて」ってなんなん。

って思ってる方もわりとあるようなのでご説明しますね。

「ゆまにて」はフランス語のhumanite=人間性、ということばからとった、うちの町家の名前です。

 

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この家で店を始めるとき、私がやる鍼灸院だけでなくて、他にも寺子屋の勉強会や、私の仲間が使ってくれるなにか、などなど、いろんなことがこの家で起こってほしい、と考えて、家自体にも名前をつけることにしたのです。

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店主の私がやっている「ゆに鍼灸院」は、言ってみれば「ゆまにて」のテナント。

そんな風に考えています。

 

なので、パーソナルのヨガとか、数秘術のセッションとか、RASのセッションとか、小さなお勉強会とか、自習室とか、ゲストハウスとか(このへんはお友達限定ですけど)、いろんなふうに使われていて、いろんな人が出入りしている、「ゆまにて」。

そういうあり方を私は楽しんでます。

 

 

さて、話が戻って、最近のゆまにてさん。

 

最近は、ゆに鍼灸院の他には、パーソナルヨガと、数秘術のセッションに使われていることが多いです(リンクは、セッションを含めていろんなことをされてるspaceやおよろずさんのHPです)。

 

数秘術については多分、直接話す方が伝わると思うので、ピンときた人は声をかけてください!(雑な説明)

 

パーソナルヨガは、この春から始めたもので、私の友人でA-yogaのインストラクターの先生が教えてくれています。

 

 

以前から、鍼灸施術の枠で施術を行っていくなかで、患者さんがただ施術を「受ける」だけではなくて、「動く」ということが入っていた方が絶対にいい結果になっていくな、と感じることが多くありました。

なので、私も自分の施術のあとに、自分でできるストレッチやリハビリとなるトレーニングをお伝えしたりしていたのですけど、やっぱり時間が足りない。

 

どうしたらいいかな…とモヤモヤしていたのですが、何もかも自分でやろうとするのはやめよう、と、思い切って友人に託すことにしたのです。

 

鍼灸施術である程度の痛みが取れたり、状態が安定したら、ヨガセッション(1対1か1対2)を紹介して、施術とヨガとを行ったりきたりしてもらいます。中には「もうヨガだけで大丈夫!」という方も。

 

これが思いの外うまくいくことが多いんです。

同じ家「ゆまにて」でやっていますから、私が診た体の様子を先生に伝えて、ヨガのセッションに活かす。反対に、ヨガのセッションで出てきた問題を施術で解決する。

この往復で、特に運動器(骨、筋肉)の問題がかなりよくなる方が多いです。

 

痛みや問題を抱えた方を託せる、ヨガや運動を指導する方にはなかなか出会えません。

体に対する理解があって、同じ方向を目指して学んでいる人。

いま一緒に「ゆまにて」でやっているのはそういう先生なので、私も安心して紹介しています。

 

…っていうその情報はどこに載ってるの??

って、ネット社会の今、思われるでしょうけど…

なんと、どこにも載ってません!(ドヤ)

二人でばたばたしているうちに機会を逃して、そのうちにご紹介でどんどん埋まってきてしまったんですよね…一度来られるとみんな継続されるし。

というわけで、現代のビジネスとしてはあるまじき感じですけど、ご興味を持たれた方は直接お問い合わせください。

 

 

すごくありがたいことに、ご近所の方の紹介で来られた70代の方がいらっしゃいます。

「近所で長いつきあいやけど、最近姿勢も曲がってきたし、全然元気なくて!ゆにさんとこ行ってきぃ!って紹介したからよろしく!」

ってお電話があって、ご紹介で来られた方。

はじめは痛みも強くて、何をするにも怖さと不安が強かったのだけど、鍼灸施術でだいぶ痛みが落ち着いてきてから、ヨガにご紹介して、今は鍼灸とヨガを往復して、笑顔も出るようになってこられました。

 

こないだ、紹介してくださった方にそのへんでばったり会ったのですけど、

「ゆにさん、ほんまありがとうなあ。

最近、ほんまに元気にならはって、体もまっすぐになって歩いてはるし、ほんま紹介してよかったなって思て」

って言ってもらって、そんなん、私もめっちゃうれしい話やん。ってなりました。

 

 

そんなこんなで、子育てとか仕事とかでなかなか発信できないでいるんですけど、こつこつ、ほそぼそと、毎日仕事はしていますので。

また、遠くないうちに!

(っていうかこの後一つお知らせを書きます)

 

センスって作るもの

 

あっ!

というまにもう2週間ほど前のできごとになってしまいましたが、子(もうすぐ1歳)を連れて東京へ出張に行った中で、「季節の養生のお話とごはんの会」をやりました。 

 

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私が、日々の養生の基本と春の養生についてお話をして、それに基づいた季節のごはんを友達が作って出してくれて、みんなで食べるというお昼の会。

 

私からは、春にはこんな食材を、調理法はこんな感じで、味はこんなふうだといいな、というざっくりした材料だけを事前の打ち合わせとしてメッセージで出して、そしたらその15分後には「こんなメニューでいこうと思う」というお返事が来て、当日はもう、それはそれはおいしいごはんがひと揃い。

 

体を整えるのは「休養・栄養・運動」の3つの柱からなっていて、だから日々何を食べるかはとっても大切。

 

だから、食べることについての話はいつでもしっかりしたいし、やっぱり具体的に感じてそれを日常で続けてもらうためには実際のごはんを見て食べるのがいい!と思ってはきたけど、自分にはそこまでの料理の腕がないな…と二の足を踏んでいたところに、強力な相方が現れた!のです。

 

やっぱり彼女はすごいなあ、センスあるなあ…私にはできないわ。

 

って一瞬思ったんだけども。

 

それは彼女に対して失礼だし、あきらめが早すぎないか?と思い直しました。

 

いろんなことについて「あの人センスあるなあ」ってほめることはあるけれど、その「センス」って、生まれつき持っているものばかりではなくて、考えて、情報を手にして、実際やってみて、っていうことを積み上げた結果にできあがっていることが多い。

私が「ごはん作るの好きだなあ、素敵にできるようになりたいなあ」とぼんやり思っているだけだった間に、彼女はその気持ちで実際に手を動かしてごはんを作ってきて、その結果の「センス」。

 

じゃあ私も、

「いいなあ彼女はこんな素敵なごはんが作れて」

って思っているだけじゃなくて、ひとつずつ、少しずつでも積み上げていけばいいな。

少なくとも、なんにも動かないで「いいなあ…あーあ、私にはないなあ」としょうもないところで自分にがっかりしてる場合じゃないな。

 

っていうか、特になんにもしてないのにそれですごくセンスのいいごはんを作れたら天才じゃないですか。それだったら料理人やった方がいいし。

 

そんなわけで、「いいなあ」と思うことには、そう思うならちょっとずつでも実際にやっていく。

改めて思う新年度…なので、文章もまた書こう、とここから復活してみました。(文章を書ける人にも憧れがあるからね!)

 

そうそう。

今日、2019年4月4日で、「ゆまにて ゆに鍼灸院」は4周年となりました。

なんとか続いているし、これからもいろんな形で続けていきたいです。

いつもありがとうございます。


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年のせい、とか言わない!

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反省して、感動しています。

 

「街なかで前かがみのおばあちゃんが歩いてるのを見た」

って簡単に言ってしまったとき、まあ、おばあちゃんやしなあ、ってなんとも思わないで終わっていた自分があったな、と思います。

この仕事をしているのに。

 

でも、そのおばあちゃんがいま、前かがみでゆっくりゆっくり歩いているのにはいろんな理由があって、これまでがあって、そのことを本人はどう思っているのか、どうしたいのか、そういうのって人それぞれに違います。

 

 

 

体についての知識もそう多くない、あちこち痛みやしびれもある、病院では「年のせい」と言われて、そうなのかなあ…と思っていたけど、ご近所の方の強い勧めで(ありがたい!)、うちに初めて来られた方。

 

でも、数回施術を受けられて症状が軽くなってくる部分もあり、例によって私がしゃべりまくって説明をたくさんしていたら、ご自分の症状や体の今の状態をしっかりと理解されて、

「もっと早くからトレーニングとかしておけばよかったんだけど、今からでもがんばります!」

とおっしゃいました。

そして、パーソナルヨガの予約を取って帰られました。

 

 

その時、私は「びっくりした」んです。

 

うちに来られる方で、

「病院で『年のせいです』って言われて…」

っておっしゃる方に、

「それで終わっちゃうのいやですよねえ、なんとかできることはしていきましょうよ!」

なんて言っていたけど、そんな自分も「前かがみでゆっくり歩くおばあちゃん」に、「そんなもんかな」って思っていたところがあったみたいです。

 

 

何歳になっていても、たとえもう固定されてしまって元には戻りようもない部分があったとしても、今より改善できることはある、これ以上悪くならないようにできるところもある。 

何歳の人にでも、それをわかって欲しいと思っているし、伝えているつもりで仕事をしてきて、こんなにはっきりとその通りに行動で見せていただいたことに自分がびっくりしてしまった。

 

まだまだ、私の中にも固定概念とか思い込みがあったんだな、とほんとに恥ずかしい気持ちです。

若いとか若くないとか、いま元気とか元気じゃないとか、なんかいろんなことで勝手に決めつけて、変わらないと思い込んでいる部分はないか?

私がそんなじゃ全然だめでしょう!

 

何歳からでもどこからでも、今よりも自分が望んでいるように、人は少しずつでも変わっていける。

それをもっと私が信じて、お手伝いしていきたい…っていうか、そうする!

 

すぐやる環境ととのえる!

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フェリシモの、リサ・ラーソンの刺し子キットがやりたすぎて、ヨシまずはやりかけてるコースター作りを仕上げよう、となって今日はミシンを少し。

 

ミシン仕事ってミシンかけてる時間よりも切ったりアイロンかけたりしてる時間の方が長い…ってなって、なんか手縫いの方が好きだったりします。

 

年明けから、時間がない中でもスキを見て手芸(編み物、キルト、ミシン)をやりたい、特にあんまり仲良くなれてないミシンをやりたい!と思って、2階の押入れにしまってあったミシンを1階に持ってきてあったのだけど、それでもやっぱり、手が伸びない。

 

今日はお休みで、子が昨日のはしかワクチンの影響か体調が微妙だったのもあって家にいたので、やっと取りかかることができたのだけど、その中で気づいたのは、私は、

 

「ミシンのコードを引き出してコンセントにさしこむ」

 

のをめんどくさがっていたこと。

 

ものの5秒くらいで終わるのに、コンセントがちょっとかがまないと届かないところにあるってだけでめんどくさがって、やらない。

 

 

いろんなことに、こういう些細なトラップってあって、例えば物が置いてある場所とか向きとか、そんなことでも行動の障壁になるんだろうなあ、と感じました。

 

そういう意味でも、片付けとか、いらないものを置かない持たないという意味での断捨離って大事。

 

 

そして、忙しく、やることがたくさんある人ほど、やりたいことはちょっとしたスキにでもやれるように、すぐ手をつけられる状態にしておきたい。

今日は縫い終わったらミシンの下糸が切れたので、ボビンに糸を巻いて、上糸下糸ともセットしておきました。これでまた、次にすぐ縫える。

それから、延長コードを買いました。スイッチのついたやつ。さしやすいところまでコンセントを持ってこられるように。

 

 

あんまり、自分の気持ちとかマメさを信用しないで、環境から整えておくのって大事だなと実感する今日このごろです。

 

 

おかずを作り置き、というのは、だんだん味が濃くなったり、食べ切るのをプレッシャーに感じたり、飽きたりするので、手前までの準備にしておくのに落ち着いてきました。

ブロッコリーをすべて切って硬めに蒸しておいたり、鶏ミンチをゆでておいたり(これは子のごはん用)。

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うらやましい!はまっすぐに

大好きなお友達のあやのさんが先日、こんなブログを書いていました。

まずはどうぞ読んでみてください。

rakudamoutaeba.com

 

私は人のことをうらやましい…と思って嫉妬することは多々あって、そして以前はそういうときにはとてもいやな気分になっていました。

 

たいていは、

「うらやましい」

→なんで自分にはないのか

→それは自分の努力が足りないからだ

っていうルートで、最終的に自分を責める方向になるので、そしてそれが最初からわかっていてイヤなので、

 

あ、いいな…うらやましいな…と感じそうになったら、その手前で

「でも、そうなると〇〇なこともあるから、やっぱり別によくないし」

「私にだって他に〇〇なことあるし」

とか言い出して「いいな〜」って素直に思わないようにする!というぐるっと回ってめんどくさいことにもなっていた。

 

でももう、めんどくさく考えるのがめんどくさくなってきて、最近はもう、

「いいな〜!うらやましいな!」

ってそれだけ思って、

「じゃあ私もそれに向かってやればいいよな!」

って行動にうつすことにしている。

 

あやのさんが書いているとおりで、

嫉妬の中身は

【相手への】

うらやましい

すごい、っていう尊敬

こうでありたい、ああなりたい 

【自分への】

悔しい

負けた

怒り

っていう気持ちがブレンドされていた。 

 っていうこと。

 

誰かを見て嫉妬する気持ちが芽生えた時に、どこに焦点を当てて大事にするか、ということの違いだけで、それがイヤな気持ちになるか、前向きに、どっちかというとうれしいエネルギーを産んでくれる気持ちになるかが変わる。

 

だから、相手のどんな部分に嫉妬しているかがわかると

それは自分の可能性、希望。

 

そういうこと。

 

 

私はいま、小さい子がいて自分の体力もままならなくて、やれることが限られている。

 

そんな中でも、いいなあ、私もあんなふうにやりたい、なりたいなあということには日々出会うし、どんどんそのリストは増える。

 

そのときに、あれもできないこれもできないと思っていると、どんどんしんどくなるし、その「できないということを考える」のにも時間をとられてしまう。

 

ただでさえ時間が足りないのに、もうそのしょうもないことを考え込んだり自分を責めたりしている時間も、エネルギーももったいない。っていうかそもそもそういう余分がない。

 

だから今は、「うらやましいな」「いいな」と思ったら、その中でいま自分ができそうなことを見つけて、ちょっとでも手を動かし体を使って、やってみる。

たった今できそうにないことは、ノートに書いたりevernoteに保存したりして、先の楽しみにとっておく。

 

そういうふうにしていると、

嫉妬できるような何かに出会って、自分が何を好きで何を求めているかがわかったことも、

時間やエネルギーの余分がなくてしょうもないことを考えられないことも、

なんかいま私ラッキーかもな!と思える。

 

そして、うらやましいな〜、と一瞬思ったとしても、じゃあ何かやるのか?と考えてみたら実は別に何もしない、ということは、たぶん本当にはやりたいことじゃない。

ちょっとはやりたい気持ちがあるのかもしれないけど、有限な人生においては残念ながらリストには入り切らない。

 

 

嫉妬できるような何かに出会ったら、こねくり回していないで、動いてみる!

もしくは、それについてじっくり考えてみる。

 

 

私はあやのさんのありようが日々うらやましく、いいな〜!と思っていて、

このブログエントリを書いたこともいいな!と思ったので、今日ここに自分の文章を書いてみました!

 

 

息子のこの服、北欧製なのに「ごはん」にしか見えない。

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「必死」は「たまに」で

 昨日の黒板にこんなことを書きました。

 

以前、高校サッカー部のトレーナーの仕事を始めてしばらくした頃に、監督がおっしゃっていました。

「高校生は全力で練習や試合に打ち込む。そのために、指導者は全力でやってちゃだめなんだよ。大人が、指導者が普段を毎日全力でやっていたら、何かイレギュラーが会った時に対処することができない。」

 

その時30歳になるかならないかだった頃で、なんでも全力でやっていた私は驚きましたが、深く納得しました。

 

その時は部活の話でしたが、結局日常生活でも同じことなんですよね。

 

毎日毎日、休みなく続く日常生活。

「休みの日」があっても、それは仕事の休みであって、「生活」が休みになることはない、と言えるのじゃないでしょうか。

 

その毎日を送るのに、いつも自分の全力を出さないと回らないとしたら、それを続けるのって至難の業、というか、無理。

どこかで倒れるとか気持ちが折れるとか、不具合が起こるでしょう。

 

そのとき、「毎日の家事の効率を考え直そう」とか「体力をつけよう」とか「ぼーっとする時間をなくそう」とか、自分に理由を求めて自分を変える方向に考える人は多いですが、そうじゃなくて、

「そもそもその毎日の設定に無理はないのか?」

と考える視点も、持っていていいと思います。

 

そういうとすぐ「じゃあ転職!」とか大きなことを考えがちですが、

たとえば年賀状やめるとか、

洗濯ものをたたむのをやめるとか、

休みの日にいつも外へ出かけるのをやめるとか、

そういう小さいことから「生活の中でしないとならないと思っていることの量をへらす」という発想もありです。

 

だってぼーっとする時間もほしいから。

 

 

ひとつ話が戻りますが、

「うん、そうなんだよ設定に無理がある。」

という答えになることもあると思います。

たとえば子育て中でとにかく時間がないとか、

やりたいことの修行中で繰り返しと時間が必要だとか、

それこそ部活で全力がんばってるところだとか。

 

それも、「アリ」だという時期もある。

自分で「無理があるなあ」とわかっていて、でもそれでも自分で選んでやっているなら、いいんです。

できたら、期間が区切れるといい。

たとえ自分で選んでやっているとしても、それをずっとは無理だから。

 

 

必死、たまにはいいけれど、ずっとは続かないように、自分で選んで調整できるといいですね。