実家のそばにある「太陽カフェ」が、来月中ごろに閉店します。
うちの実家は仁和寺の近くから20年くらい前に銀閣寺の近くに引っ越していて(京都っぽく書いてみた)、引っ越してきたときからある、そしてその頃から行っている、太陽カフェ。
ランチが夕方までやってて、メニューが絶妙で、長居してもほっといてくれて、チャイがめっちゃ甘くて、すごい手作りっぽい内装なのに暖かくて、店の前に桜の木があって、
とにかく他のどこにもない店。
おじさんがやってて、奥さんが2階で雑貨屋さんを始めて(昔はカフェの店内の片隅だった)、ずっとずっとあった。
でも閉店。
歴代の彼と、両親きょうだいと、甥っ子たちと、何よりひとりでしょっちゅう行った店。
ずっとあると思ってたけど、よく考えたらあのおじさんがずっとやってきて、おじさんがやめたらなくなってしまうんだった。そりゃあ、そうだわ。
横浜に住んでるときも、帰ってきたら必ず行ってたけど、実家の近くに戻ってきてからは、近いがゆえに、そして近所に住んでたらちょっと遠いだけに(歩いて20分)、あまり行かなくなってたけど。
お客さん減ってたのかな…
当たり前のことだけど、店はお客さんがいないと、続かない。
そういう中で、小さな店を何十年も続けてきたおじさんは、偉人。
20年くらい通ってきたけど、このおじさんは私のことを覚えてるのかな?覚えてないのかな?と思うような距離感でずっときたけど、こないだ会計のときに、レジに来ようとしたバイトちゃんを制して「おれが行くわ」と出てきてくれて、
「お客さんずっと来てくれてはったよね、うち来月閉めることになって…」
と初めて話しかけてきてくれて、少し話をすることができた。
よく来てくれる人に話しかけて、常連さんという扱いをして、お客さんとしてつなぐ、ということをしない人だったけど、そういうところが居心地がよくて、食べ物と店の雰囲気という商品がすごくよくて、通っていた。
本当に偉大な店だと思う。
大きくするとか、メディアに取り上げられるとか、そういうことじゃない偉大さだなあ、としみじみ思う。
仕事のことや他のことでも、インターネットを見るようになって、いろいろ取り上げられてる人を見ると「すごいなあ」と思うことがあるけど、そんなことじゃない偉大さも、日常の中にはたくさんある。
太陽カフェ、メディアにあんまり出なかったしweb関連何にもないもんなあ。
ただ、店がずっとある、っていうすごさ。
私も店をやっているけど、おじさんみたいに、愛想に頼らずに自分の中身と商品で勝負できているのかな、と思うと、身が引き締まる思いがする。
私もしっかりやろう。長く続くように。