ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

人は悲しみが多いほど

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ご近所のモッコウバラ

ここのに憧れてうちの前にも来てもらったけど、まだまだ貫禄が負けておる。

 

humanite.hatenablog.com

 ↑近々のお知らせはこちら。

 

 

この話、何度かしようとして、言い方むつかしいなあと思って言うのあきらめてたけどやっぱり言いたい〜すぐに言いたい〜(RG)っていう気持ちになったので、言いますね。

 

 

有名な歌に「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」っていうの、ありますよね。

 

まあそれに異論はないんですけど、でもそれにしたって、

悲しいことなんて、ないならないにこしたことない、と思います。

 

でも悲しいことがあったから、それならしょうがない、せめて、「これでまた人により優しくできるようになったかもな」っていう、後づけで、

「せめて」

って考えること。負け惜しみっぽい。

 

それを妙にひっくり返すと、

「人に優しくあるためには、悲しみが多い人生であるべきだ」

みたいな考えになっている人、いるように思います。

 

私は人より悲しみが多いから、優しいもん。っていう感じ。

 

「悲しみ」のところには、たとえば「繊細さ」とか「弱さ」とか、「つらさ」「苦しみ」なんかも入ります。

確かにそういう要素が多いほど、人のつらさがわかって、優しくはなれるのかもしれないけど。

 

でも、人に優しくする「ために」そんなもんを持ってる必要は、ない。

と、私は思います。

 

もっとストレートに、直球で、悲しいこととかつらいことがない、楽しい毎日を送りたい!って思って、それを求めて生きてていいと思います。

 

「私、悲しいこともつらいこともいっぱいあるから、人には優しいもん」なんてことを自分の軸にして支えにしてると、いつまでもしんどい。

 

楽しい自分で毎日すごして、その楽しさを人に分けていくことで「優しさ」にすればいいんじゃないか。

 

最近そんなふうに、「私もしんどいことありました」「私もつらいです」っていうので勝負すんの、やめよ!って思って、そうしてます。前はちょっとやってたな、と思って。

 

 

こういうこと言うと、「そらあんたは今楽しいやろから」みたいに思われるのがなんかどうもなあ、と思って、言い方難しいな、と思うのですが。

 

別に私だって楽しいことばっかりじゃないけども、それはそれとして置いといて、

しんどいことばっかり見てないで、

自分にないことばっかり見てないで、

まあ見えるんですけどそういうときも「私には、ない……」じゃなくて、直球で「ええなー!私も欲しいんやけどな!」と認めてしまってとりあえず置いといて、

 

欲しいんやったら取りに行く動きを、アクションを、ちょっとでもやることでしか進めへんな!

 

と、思うわけです。

 

ほんまはもっと楽しく、シンプルに、楽に、明るく、進んで行きたいのに、

いまそういう状況にないからってそこから目をそらして、「しんどい分人には優しいし人の気持ちわかるもの」とかって、もったいない!

 

と、思うわけです。

 

 

あかんやっぱり文章で伝えるのには力が足りない…

 

でも繰り返し言っていきたいと思います。

「悲しい」「しんどい」「つらい」を軸にするの、やめよ!

「うれしい」「楽しい」「大好き!」(ん?)をもっと真正面から求めていこ!

 

なんか急にえらいこと言い出したけど、まあ、今日は言いたかったので。