ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

奥歯以外のこと

最近、ずっと自分の奥深くにものすごい根を張り巡らしてきた、自己評価が低く卑屈でものごとを悪い方向からしか考えないという根っこが、ごっそりと動いているという感触があって、なんというのか、長かった思春期の最後の仕上げ、のような感じがしているわけですが。

 

その感じが、2週間前に大手術の末に掘り出された左奥の親知らずとあまりにイメージが似通っていて、思わずスピリチュアル的に、

「やっぱり、そういうタイミングなんですね」

とかうっかり言いそうになってしまいます。

 

が、私はそういうの、全く信じないわけではないけれど、それだけで片付けるのがどうしても納得がいかないし、はっきり言ってイヤなんですよ。

 

私がここまでこつこつと闘って戦ってきたことを、そんなことで片付けられてたまるかーい!と思うのです。

 

 

多分覚えている範囲では中学生ぐらいから自分をこじらせ始めて、ざっくり言うと、

 

「私って生きているだけで酸素を消費して生きててすみませんぐらいのことなんだから、人様のために何か役に立つようにならなければ生きている対価をこの世にお支払いすることができない。もちろん人様のお世話になることなどできるはずもない」

 

ぐらいの感じになっていたためにめっちゃ勉強して休みも取らずに人様の前ではできるだけ機嫌よくめっちゃ働き、

 

同時にそれでもやっぱり「なんかおかしい、人生こんなにしんどいなんて」と思って、楽しく過ごせるように自分の気持ちを励まし、なぐさめもしてきて、

 

高校の恩師には「おまえの中には乙女とサムライが同居しているからややこしい」と言われて心から納得して、いつもめそめそじくじくする乙女をサムライがしばき回してここまできてやっと、

 

乙女もサムライも落ち着いて、その戦いの間に乙女はそこそこの教養を身につけて落ち着けて生活を楽しみ、気がついたらサムライの刀はそこそこ磨かれて二刀流くらいになっていて、

 

なんかええ感じなってきてるやん。

 

っていうことのすべてを、

「奥歯抜いたからですね」

みたいな片付け方、全然納得いかないわけです。

 

 

かと言ってそれは、

「私が全部自分の力で勝ちとってきたものだ」

とは全然全く思わなくて、いつもまわりで「痛々しい人だ」と思いながら見守ってくれた人たちがあり、

見えない何かの大きな力としか思えない巡り合わせや出会いがあって、

ここまでたどり着いたわけだから、そう考えれば「奥歯」方面の話ももちろん心から信じています。

 

だから、単にどっちかに寄り過ぎる、というのが気に入らないんだなと思います。

 

 

私は鍼灸師/トレーナーとしてそのバランスを大事にしていきたいと思う。

 

鍼灸師という仕事は、東洋医学という、占いと根っこが同じである理論をベースに使っていることもあって、スピリチュアル系との親和性が高くて、下手をすると一緒にされてしまいがちな危険をはらんでいます。

下手な(あるいは逆に上手な)使い方をすると、からだのことや人生のすべてを占いのように解釈して片付けてしまうこともできかねない。

 

でも、それだけじゃないはず。

自分のからだや進む道について、星が決めている方向(と便宜上表現)以外にも、自分の力でできること、けっこうあると思う。

 

夜きちんと寝る、体をきちんと使う、食べ物をととのえる…

そういう「具体的なこと」の積み重ねで「奥歯」的なことを超えていく、そのためにできることが、たいていの人にはまだできる余地がある。

 

でも「やっている!でもつらい!」という人がいたり、というか「つらい時期にいまある」という人がいたりすることもよくわかる。

「がんばれば抜けられるよ!」と不用意に言うことはできない。

でも「抜けられると信じて、『やるしかない』」とは言いたい。

 

そこまでは、星にまかせて奥歯を待つ、だけではなくて、ごはん食べて寝るをていねいに根気よく、信じて繰り返していくしかない。主に根気よく。

変えられるところは自分で変えていく。

 

 

今日、インターハイ(サッカー)の大阪予選、決勝リーグの最終日で、私が前に7年間所属していた履正社高校はここまで全勝でこの日を迎えています。

私は11年間、強豪と言われるチームでトレーナーをやらせてもらったけど、結局インターハイも選手権も、全国大会に出ることはなかったです。なんていうかそれはそういう星かなとも思う。

 

でも、高校生が全力を注いで、運や星じゃなく、自分の力で道を作ろうとしている姿をずっと見せてもらってきて、結果をみて「それはそういうタイミングだったからね」とか、全然、思わない。

そんなこと言えないエネルギーを人は持っている。それをずっとずっと見せてもらってきた21年だったと思う(サッカーの前はアメフト)。

 

 

ずいぶん長くなって自分でも驚いています。

全部決まっていると思いすぎない。

でも、全部自分で決められるとも思いすぎない。

信じて進む。

 

ということのバランスがとれてきているのかな、という今日に、書いてみました。

またそのバランス点が変わるのも人だから、そのことすら楽しんでいけたらいいと思っています、ここまで鍛えてきた筋力で。