阿川佐和子さんがエッセイの中で、「洗い物で食器を割らないのが特技」と言ってらして、そのコツは
「最後まで見届けること」
だそうです。
私は食器をよく欠けさせてしまうのですが(うつわ好きなのに…)、たいていは、
蛇口にぶつける
というほんとにうっかりなタイミングです。
それを自覚はしていたけれどなかなか治らないと思っていたところに阿川さんの冒頭のことば。納得しました。
食器洗いに限らず、結局私は「一つのことを最後までやらないで次にとりかかってしまう」というクセがあるんだな!ということ。
食器洗いで言えば、一つすすいで、食器かごにふせようとしている時にもう、次の食器に目と気がいっていて、いま手に持ってるものをぶつける。
そうそう、もともと私が空間認識能力に難があって、自分がどこまであるのかわからないという特性もあります。なので車の運転はものすごく慎重。
他にも自分で気がついて気をつけていることは、
「語尾まできちんと聴く」
ということがあります。
もともと日本語は文の最後に否定の要素が入ったりしうるので、最後まできちんと聞かないとなりません。
それ以外にも、ある話題を出して、でも本題はその次の話題だったり、という、人それぞれの話の組み立てがあります。
なのでしっかり最後まで聞くべき。
なのですが、私の家族はとにかくよく喋る人ばかりで(父を除く)、なおかつ言いたいことは絶対言うので、話を最初のつかみでだいたい聞いて自分の言いたいことをつっこむ、そしてつっこまれた方も「いやそうじゃなくて私の話は」とつっこみ返す、という習慣で生きているうちに、ゆっくり話を聞くということがどちらかというと苦手になっていました。
さすがに教員や治療者になってそれはまずい、というのでだいぶ訓練してできるようになってきたとは思うのですが、最近また「察しよう」という気持ちが前に出てきているように自分で感じて気をつけています。
話が途中なのに、「あーはいはいわかりますぅー」と言われたら、もう話す気がしませんよね。
…してないつもりではあるのだけど。
そんなわけで、ものごとは「最後まで」「はしっこ」が大切だ、という話でした。
桜が満開になって初めての晴れ。明日の雨で散ってしまうのかな…