ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

偶然を愛するということ

 3月・4月の東京での施術とワークショップのご案内です。

humanite.hatenablog.com

 

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昨日の雪です。

 

占いとか、今はいいな。

と、思うようになった。

 

というか、以前から占いに何かの決断をゆだねる、ということはあまりなかったのだけれど、特に「先を見たい」という気持ちがますますなくなっています。

 

先のことなんか、わかりゃしない!

去年の今日、横浜からの引っ越し荷物が届いて、がらーんとしたここにたくさんの荷物を入れて、店をはじめる準備を始めました。

いま見渡してみると、よくもまあこんなに本が、と改めて驚くとともに、カルテボックスに入ったたくさんの人のカルテに、しみじみと、感動とも言える喜びがあります。

 

去年の今日、何もないこの場所で、今のこんな様子を誰が想像できたでしょう。

というか、私が想像しないんだから誰も想像しないと思うけど。

 

もっと振り返れば、横浜に住んでサッカー部に明け暮れた日々に、町家で過ごすこの時間全く想像できなかったし、大阪で長く働いていた私に「あんたは関東に住んでPASMO使っちゃうよ」って言ってもまったく予想もつかなかったと思う。

 

それぐらい、何かを予想したり想定したりするのは無駄やな!ということが実感としてあります。

 

 

よくない予想って、さほど当たらない

私がそれまで「予想」「想定」してきたこと、というのは、たいていが「よくないこと」で、主には起こってもないことを「こうなったらどうしよう」と心配していたことだったので、それはそれは消耗していました。

 

そしてそういう「予想」できたことはほとんど起こらなかったし、実際に起こって対処にすごく大変だったことは「予想もしないこと」でした。

 

結局「予想」して心を悩ませていたエネルギーは、ほとんど全部無駄になってしまったということになります。

 

なんて、しょうもない!

なんて、もったいない!

 

その時のエネルギーを、その時の「今のこと」に注いでたらもうちょっとましだったのかもしれないなあ、とは思います。

でも、それが、わかっててもできないことだった、ということも、今からその時の自分を見ても納得がいきます。

 

 

 
信じられないとは思うんですけど…

私はいつでも何かがわかるのには時間がかかって、

「予想してしんどくなるのは時間とエネルギーの無駄やな」

ということも、自分で全部時間をかけて実感しないと納得がいかなかったのです。

そんなふうに言う人や、本にも出会っていたのに、信じることができなかった。

 

「信じられない」という自分の、「なんで?」についての分析はいま(というか長く)やっていて、だんだんわかってきている気がします。

そんな段階ですけどでも、敢えて伝えてみたいのですが、先のことを憂いてエネルギーを使うのは、本当に、もったいないですよ!!

 

とはいえ、やっぱり実感しないと信じるのは難しいとは思うので、「そんなこと言ってる人いたな」ぐらいに、受け取ってもらえたらなと思います。

 

 

偶然を愛する

私にとって先のことを見ようとしない、ということは、「偶然を愛する」ということでもあります。

 

これまで、自分でコントロールしようとしたことよりも、偶然に起こったり、人から与えられたり押し付けられたように思ったことの方が、あとで大きく効いてきたり楽しくなったり、していることが多いように感じています。

 

人に会って、本を読んで映画を見て、自分を広げる努力はしているつもりだけど、やっぱり自分は小さい。

自分じゃない人や、もしかしたら人じゃない何か大きなものの力で動くことができたことの方が、自分をより遠くに、予想もつかないところへ連れていってくれる。

 

そんなふうに捉えられるようになったのには、

「何があっても、その時の自分がなんとかするだろう」

と思えるようになったからです。

そのつど、すごくしんどい思いもしたし、たいてい泣いたし、人にも迷惑かけたし、もう無理かもと思っていた時間も長かったけど、どうにかなってきたんだから。

 

どうにかなってないこともあるけど、時間が過ぎたらもう置いてきたことだと思うしかないですからね。

いま生きてるからいいな、ぐらいです。自分に期待しすぎない。

 

自分は自分の、いまの筋力(筋肉的にも、精神的にも)で、今のことをやっていくだけだなあ。

仕事がんばります。

 

今日なんか、長いし、説教くさくて、すみません。