ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

「必死」は「たまに」で

 昨日の黒板にこんなことを書きました。

 

以前、高校サッカー部のトレーナーの仕事を始めてしばらくした頃に、監督がおっしゃっていました。

「高校生は全力で練習や試合に打ち込む。そのために、指導者は全力でやってちゃだめなんだよ。大人が、指導者が普段を毎日全力でやっていたら、何かイレギュラーが会った時に対処することができない。」

 

その時30歳になるかならないかだった頃で、なんでも全力でやっていた私は驚きましたが、深く納得しました。

 

その時は部活の話でしたが、結局日常生活でも同じことなんですよね。

 

毎日毎日、休みなく続く日常生活。

「休みの日」があっても、それは仕事の休みであって、「生活」が休みになることはない、と言えるのじゃないでしょうか。

 

その毎日を送るのに、いつも自分の全力を出さないと回らないとしたら、それを続けるのって至難の業、というか、無理。

どこかで倒れるとか気持ちが折れるとか、不具合が起こるでしょう。

 

そのとき、「毎日の家事の効率を考え直そう」とか「体力をつけよう」とか「ぼーっとする時間をなくそう」とか、自分に理由を求めて自分を変える方向に考える人は多いですが、そうじゃなくて、

「そもそもその毎日の設定に無理はないのか?」

と考える視点も、持っていていいと思います。

 

そういうとすぐ「じゃあ転職!」とか大きなことを考えがちですが、

たとえば年賀状やめるとか、

洗濯ものをたたむのをやめるとか、

休みの日にいつも外へ出かけるのをやめるとか、

そういう小さいことから「生活の中でしないとならないと思っていることの量をへらす」という発想もありです。

 

だってぼーっとする時間もほしいから。

 

 

ひとつ話が戻りますが、

「うん、そうなんだよ設定に無理がある。」

という答えになることもあると思います。

たとえば子育て中でとにかく時間がないとか、

やりたいことの修行中で繰り返しと時間が必要だとか、

それこそ部活で全力がんばってるところだとか。

 

それも、「アリ」だという時期もある。

自分で「無理があるなあ」とわかっていて、でもそれでも自分で選んでやっているなら、いいんです。

できたら、期間が区切れるといい。

たとえ自分で選んでやっているとしても、それをずっとは無理だから。

 

 

必死、たまにはいいけれど、ずっとは続かないように、自分で選んで調整できるといいですね。

やることリスト・やりたいことリスト

昨日見かけたこのツイート。

 

さすがたらればさん、ツイートの短い文章で大事なことたくさん書いてある!

 

私もやることリスト、作ります。

どんな些細なことでも書いておきます。

 

ツイートの中に「懸念や不安」という「気持ち」の要素が入ってるのが実は重要。

忙しい時ってやることがたくさんあって、たくさんあること自体ももちろん大変なのだけど、

「何か忘れてることがあるんじゃないか」

「先にやらないとならないことがあるんじゃないか」

「こんなことしてる場合なのか」

みたいに、それこそ「懸念や不安」というのがあることが、実は頭のメモリをかなり使うし、それを持ち続けることでだいぶエネルギーをそがれます。

それがブレーキになって、ブレーキふみながらアクセルふかすような…ってそうか、それをたらればさんは「米俵背負って走ってるみたいな」と表現されてるのね。さすが。

 

 

ところでこれに加えて、私は「やりたいこと」もリストに書いておきます。

 

いつかハワイに行ってみたい、とかそういう大きいことではなくて。

「〇〇さんにはがきを書く」

「子のタオルに刺繍」

「この本の続きを読む」

ぐらいの小さいこと。時間にして数分とか、長くても1時間程度かな?くらいで終わるようなこと。

 

私はしょっちゅうやることリストを書き出しますが、それが全部スパっと終わることはほとんどない。

終わらないうちにリストにまた「やらなければならないこと」が追加されて、ある程度増えたら残っているいろいろを加えてまた新しいリストを作って。

 

そうしていると、いつまでも「やらなければならないこと」が片付かないので、「やりたいこと」ができない。

ふと時間ができて、やりたいことをやろうかな、と思っても、「いや、やらないとならないことがあるのに…」と気持ちがひっかかってしまう。

 

で、私のパターンとしてはどっちもやらないでとりあえずいろいろから逃避するためにだらだらとネット見てたりとか。しょうもない上にもったいない。

 

 

「やらなければならないこと」も、今すぐ!いつまでに!というのもあれば、少し猶予があること(そういうことこそ忘れないようにリストに入れておく必要がある)もある。

だから、ざっと見渡して、あとは急がないことばかりだな、というときには、小さな「やりたいこと」をやる。

 

そうすると、毎日忙しい、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、の合間に自分の好きなことをやる楽しい時間もちゃんとあって、ぼちぼちと物事が進むし、やりたいこともやれてるからさっと切り替えてやらなければならないことにも取り組めて、気持ちが健康で平和になる。

 

今は子がいて子にかかる時間もあるし、いろんなものが蔓延してるのでとにかく寝ることを優先してるからあんまりいろいろできないけど、それも一時のことだから。

この生活いつまで続くの…っていうときはしんどかったけどなあ。何も考えないで職場の文句ばっかり言って働いてたときのことですけど。子ども産んでからはそういうしんどさはほぼないです。

 

 

今やりたいけどなかなかやれないのは、手芸系。

編み物とかミシンとか。ストーブ前でじっくりやりたいんだけどもなあ。

ま、今年はむりかな。小さく分けて少しずつでもはさんでいきたい!

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なんで早寝できないのかな?を考える。

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年間パス買ったので思いつきで動物園に寄れるようになって楽しい。

 

早寝してしっかり睡眠時間をとると体調良くなりますよ!

というごく普通の話をすると「へえ、そうなんですか!」と返ってくることはあまりなくて、たいていは

「ですよね…(わかってるけどなあ、できない)」

という反応です。

 

いいってわかってるけどできないことの代表みたいなところありますよね、早寝。

 

なんでかな?

と考えてみて、私自身は考えてみたらここ6〜7年くらいはたいてい早寝をできているので、じゃあなんでできてるのかな?を考えるとヒントになるかもしれないと思いました。

 

考え方は大きく3つあります。

一つには、

「体調が悪い状態がイヤだし困るから」。

もう一つは、

「夜遅くまで起きていてやりたいこと、やらないといけないことがないから」

そして最後は、

「寝た方が体調がいい=寝ないと体調がいまいち」という実感が強くあるから」。

 

体調が悪いの、イヤだし困る

いちばんちゃんと早寝ができていたのは、横浜の桐蔭学園高校サッカー部でトレーナーをしていた3年間です。

最大180人くらいの男子たちのサッカー部のトレーナーをやっていて、週6日朝練で5時に起きて、朝と午後と2回練習。日曜や長期休暇は出ずっぱり。

 

そういう生活で、しかもトレーナーというのはまず元気が仕事なので、120%心身ともに元気いっぱい!な状態を維持するのは、しっかり寝るのが不可欠だったんです。

 

それは基本的には開業してからも同じことで、なんかだるい、元気なさそうな人がみてくれる鍼灸院、だめでしょう。

 

そういうわけもあって、まずは必要にかられて、「寝なければ!」と思って寝てます。

 

でも、寝ないといけないから寝てる、という、強制力でいやいやそうしてるというわけでもありません。

 

仕事じゃなくったって、寝不足でなんだか頭が重いとか、イライラするとか、やる気が出ないとか、そういう自分の状態がイヤなんです。

しんどいところ、いやなところがなく、機嫌よくすごしたい

 

一日が終わったら、寝たい。

いまの鍼灸院の仕事でも、サッカー部のときの仕事でもそうなんですけど、基本的に好きな仕事で、帰って寝る前に何かしてストレスを発散したい!という気持ちにならないから、スッと寝られる、というのはあります。

部活のときは、19:15までグランドにいて、家まで帰るのにバイクで10分、19:30頃に家に帰って、ごはん作って食べて片付けて、お風呂入って22時には寝てました。毎日。

「寝ないと倒れる」という圧と、「明日も元気に仕事したい」という欲

 

 

うちに来られるかたと話していてわりと聞くのは、

「仕事して帰ってきて、ごはん食べてお風呂入って、それだけじゃ自分の時間がなさすぎて、気持ちがしんどくなってくるんです!

 寝る前は唯一の自分の時間、ボーナスタイムみたいな感じなんです!」

というようなこと。

 

それはそれで、めっちゃわかるなあ…と思います。

 

仕事のストレスが強くて、あまり楽しめないでいる。

それで帰って、「しないとならないこと」であって別に好きでもないごはんとお風呂して、すぐ寝なさい、ってイヤだ〜!

そういう感じじゃないかなと。

 

これについてはやっぱり整理が必要だとは思います。

仕事や生活があまりにもあんまりな場合はそれを変える必要があるでしょう。

でもそれはできない、という場合は、休みの日に気晴らしをまとめるように考えて、少しでも昼間を楽しめるように体調を調える、ために早く寝るんだという気持ちの整理。

(このへんのことはもうちょっと考えてお話ししたい)

 

 

それでも、寝たらなおるから。

早寝したくない、好きなことやりたい、気持ちはわかるけど、

でも結局私は、しっかり眠れば体調が良くなって気分が落ち着く、寝ないとだめだな、ということを実感して、知っているから、もうちょっと編み物したいな〜、読みたい本あるな〜、ブログも書いておきたい…と思っても、寝るのを優先します。

 

慢性的に睡眠を優先しない状態が続いている人はこの「寝たらなおる」ってことをあんまり信用してないんだと思います。

ずっと寝たりてなくて疲れている人は、確かに1日や2日ちゃんと寝たくらいじゃすっきりしないことも多いからです。

 

私のたとえでいうと、それだけ早寝早起きにこだわってたサッカー部での3年間でしたけど、やっぱり蓄積された疲れがあったみたいで、京都に移ってきてすぐからは、まだ店がひまなのをいいことに毎日9〜10時間は寝ていました。

半年以上その生活を続けた頃、急に「あ、もう7時間くらい寝ればフル充電するわ」という状態になったのを実感して、それ以降は基本ラインを7時間にしています。

(今は子どもと暮らしているので時間は長めに取ってるけれども寝られてない)

 

 

さあ、どうしよう。

結局私は、「好きな仕事を、早寝できる環境でやっている」という点でラッキーなんだなという実感はあります。一般化は難しいのかなと。

 

 

ここまで考えてみて、「でも〜、寝たくないんだもの〜」という人たちに私は鍼灸院の人として何ができるかなあ、と思うと。

 

そんな帰りが遅くなる仕事はやめて!とかは言えるわけでもなし、やっぱり仕事としてできることとしては、

しっかり寝たらすっきりする、という体験をしてもらう

ということに尽きます。

 

からだの様子がいいのって、ほんとに、気分がいいものなんですよ。

考えかたやものの見かたも変わります。

…あかん、普通すぎて伝わってる感じがしない!でも真理なんだ!!

 

鍼灸師としては、来てもらって施術を受けてもらって、「力が抜けてよく眠れる」という状態を体験してもらうというのがストレートなやり方です。

体のこりとか痛みをとったり、おなかの働きをよくしたり、気が立ってるのを落ち着かせたり、そういうことです。

 

あとは…

すごく抽象的ですけど、ちゃんと寝て昼間元気な方が楽しいんやで、ということを、「こっち側」にいる人として伝えていくことでしょうか。

 

みんな「わかってる」けどやるには至らない、ということなんだから、「わかった、もうわかったから、やる」っていうことになるまでしつこく言うって感じかな…

 

それと、ちゃんと寝てる私が元気でいること!

これについては、夜中にうんうんんふんふいう子ゴリラと暮らしているのでなかなかの難題なんですけど、期間限定なわけなので非常識なほど早くふとんに入ることでがんばっていこうかなと思います。

そうだよ!寝られる人は寝てくださいよ!!(うらやみ)

 

体にかける手間と時間

お友達の家に行って一緒に羊毛フェルト手芸をする約束だったのだけど、お友達のとこのちびちゃんがインフルエンザにかかって中止。

 

じゃあお買い物でも、とも思ったけど、それだけインフルエンザとかいろいろ流行ってるときにわざわざ人の多いところに出かけることもないなと思って家にいることにしました。

 

 

さて何をしようかな、と、まずお茶をいれて、買ってきてあった雑誌を開いて読み始めました。

テーマは「住まいを、整える」。

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こないだも書いたけど片付けの波が来ています。

 

それと今年は、先輩主婦のアドバイスを受けながら家計簿をやってみています。

 

結局、元気でいるためには生活が整っていることが必要で、そのためには家事がうまく回っていることが不可欠なんだなというシンプルなところにいきついたので、今年は家事をしっかり考えてやってみようと思っています。

 

 

今は子が少し夜泣きをするお年頃で、なおかつ保育園で流行っているあれやこれやで微妙に体調も良くないらしく、夜中何度も目を覚まします。

 

もちろんそのたびに私も目を覚ますので、年明けから数日うっすらと寝不足が続き、観念してもう「やるべき・やらないとならないこと」だけやって、「やりたいこと」はあきらめて一緒に早寝してどうにか仕事しっかりやれる体調を保っています。

 

そうすると、たまに子が割としっかり寝てくれるとかえって私は体調に余力ができたりして、やっぱり寝不足はほんとに生活のクオリティが下がるなと実感。

 

寝る質・量が足りていたら、頭もよく回るし体もさっと動くのでかえって家事もはかどるし、より、余分な時間ができます。

 

 

さて、そのできた時間で私は何を「やりたい」か?

 

「家事をちゃんと回す方法、手順を考える」「家計簿の予算づくり」「ヨガ」「ごはん作りの実験」「仕事の調べ物」…

結局、生活と仕事のことが好きなんですよね。

あと、もう少し時間があったら手芸系、そして読書かな。

 

 

元気になる方法を伝えて、私が手伝える部分はお手伝いする(鍼灸施術)という仕事をしていますが、みなさんなかなか忙しくて、元気になるための手間、体にかける時間というのが取れない、というのはよく聞くことです。「わかってるんですけどね〜」って。

 

そうか、私は生活と、この「元気になる」が好きだからやってるけど、多くの(というかほとんどの)人には、寝る時間をとったり、ごはんのための手間や時間を取ることは、

「ほかのやりたいことの時間や手間を削ぐこと」

なのかもしれないな、と思いました。

 

体を大事にすること、が、義務感や重さ、めんどくささを持った「好きじゃないけどやらないとならないこと」に分類されてるんやろな、と。

 

そこからスタートして一緒に考えないと、

「そら、ゆにさんは健康好きやしできるやろけど」

ってなるんやろな結局。

 

 

しかしそれでも、やっぱり私は寝る時間を長くとって、少し手間と考える時間をかけることはすごくいいぞ!ということを推してお伝えしていきたいと思いました、改めて。

 

だって結局、やりたいことが何であれ、それをやるには絶対「体」を使いますから。

 

 

やりたいこと、大事にしたいことは何だろう?

って考えると、誰がいつどこで考えて何を言っても、

「うん、それ体使いますよね!だから体大事にケアしましょう」

ってなるわけですが、今それをしない、できてないのはなんでなんやろ?ということを、私が関わる人とは一緒に考えてみたいと思います。

 

そこのところを深ーく掘ってみる、でもできるだけシンプルにまとめる、というところから養生は始まるんでしょう、結局。

 

いだてんと体育とスポーツと

いだてん、ハマってます

大河ドラマ「いだてん」、3回目まで終わりましたが、ハマってます。

 

実はまだ初回も2回めも録画が残してあって、繰り返し見たりしています。時系列がいったりきたりしてるので、3回目が終わって、また初回見たいな…と思うとこれ下手すると1年分取っておいてしまいそうです…

 

来年が東京オリンピック、というタイミングで公共放送NHK大河ドラマでオリンピックを取り上げる、ということが発表された段階で、

スポーツ最高!

オリンピック素晴らしい!

異論は認めません!

みたいなドラマになるんじゃないかな…それだと反発も強そうだな…と心配してました。私自身がスポーツもオリンピックも、体育も好きだから。

 

でも初回でその心配はとりあえずは大丈夫そう、と思えました。保留。

 

体育とスポーツ、仲良くできるのかな

ドラマの中で、「体育」は富国強兵政策とつながる、国を強くするための厳しくつらいものとして、「スポーツ」はただただ楽しく、ちょっと人にうっとうしく思われるほどのハイテンションな人たちがやるものとして描かれて、敵対していました。

オリンピックは若い競技者に国を背負わせて強いプレッシャーをかけるものである、という面も描かれています。

 

オリンピックと日本をつなげた嘉納治五郎先生は、体育には「それ楽しいの?」と厳しさに眉をひそめ、スポーツには「楽しさを履き違えてる!」と嘆きます。

 

体育・スポーツを好きでない人たちが感じているその、好きになれない面、というのを初回でまず出してきたわけです。

 

それがこれからどんなふうに描かれてどんなふうに答えとなって出てくるのか、楽しみになります。

 

 

体育会系、ウザくてチャラい?

それからもうひとつ、体育・スポーツが嫌われる要素「体育会系のノリ」がめっちゃおもしろい形で出てきました。

天狗倶楽部!です。

ざっくり言うと当時の高学歴エリートが集まってスポーツを楽しんでいた会なんですけど、まあ、とにかく騒がしいしテンション高いし飲むし脱ぐしで本編でも「ウザくてチャラい」と描写されています。

 

飲んで脱いで声が大きくて暴れてうっとうしい、という典型的な「体育会系」のイメージを、このドラマでどんなふうに消化してくれるのかも楽しみです。

 

 

人生は、生活はスポーツだ

オープニングの画像も、この3回(と録画見る時も)、じっと見入ってしまいます。

ウエイトリフティングと子どもを抱っこするところ、聖火を運ぶところとお誕生日ケーキ、というふうに、スポーツの映像と日常の風景が並べられて流れます。

 

昔、ファイテンのコマーシャルでも、洗濯物が満タンにかかった物干し竿をウエイトリフティングの動きで持ち上げる「人生は、スポーツだ」っていうのがありました。

 

そうなんですよね、結局、競技でなくても、体育でなくても、何してても体を使うんですよね。

頭使って、考えて、考え込んでも、結局それを表現するのは体っていう実態、立体とその動きなんですよね。3次元。

 

だからどんな人にも、厳しすぎず、ハイテンションすぎず、もっと安心で穏やかに楽しい形で「体を動かす、感じる」ということが日常にあればいいなと思います。

そういうことを肯定的に感じられて、オリンピックに出ているアスリート、オリンピアンはその延長上でハイレベルにそれをやってる人たちなんだな、と思えるようなストーリーになるといいな。

 

 

…好きすぎてずいぶん長くなってしまいました。

今回は天狗倶楽部が濃いめに出てきて天狗欲が満たされました。

 

KonMariちゃん再び!

 今日は片付けの話。

本日の前置きこちら。

humanite.hatenablog.com

 

前置きが長くなったのだけど、今日は片付けの話をしようと思ったのでした。

 

Netflixで「KonMari」っていう番組が配信するようになって見てます。

こんまりちゃん、は近藤麻理恵さん、「片付けの魔法」が日本で売れたあと、知らんうちにアメリカに移住して世界中で大ブレイク。

 

久しぶりに少し、家をまた片付けました。

 

夜中にまだ起きるし毎日がレスリングな子がいて、仕事も再開していて、そして今年の冬は天気が難しいので体力を保つためにしっかり寝るようにすると、ほんとに時間がたりない!

やりたいことをやるための時間を作るには、主に家事など「やらないとならないこと」の時間をコンパクトにしないとならない、ということがようやく腹に落ちて、いろいろ考えてくふうしてみているのですが、結局そのいちばん基本、基盤というか前提になっているのは、「片付いていること」なんだなというのが私の実感です。

 

何かをやろうとするとき、片付いていないと、

・使うものを取り出すのに時間がかかる

・「片付けてない自分」に向き合うことになってテンションが下がる

・↑それがわかるので気分的におっくうになってそもそも動き出しが遅れる

ということになって、結局取り掛かるのも実際にするのも時間が余分にかかる。

 

そう、私はこの「テンション下がる」とかそういう、「気分」の問題にすごく弱い。

やる前から気持ちでめんどうがってしまう。

これは今産後で、しかもいつもうっすら寝不足だからかもしれないけれど。

 

とにかく、片付けをやっておくことが家事のスピードを上げる!という実感があるので、こつこつ片付け、またやってます。

 

こんまりちゃんの番組で今回ぐっときたのは、

「家が散らかっている=生活が混乱している」

 「片付けは判断を繰り返すことでの自分の価値観の見直しと、そのトレーニングによる成功経験の積み上げ」

ということ。

 

私は手芸も好きだし本も好きだし、単に「捨てる」のはしません。

全部使ってるなら全部あっていいと思ってます。いま使ってなくても、将来の希望の中に使うという確信、希望があったら残しておきます。

触ってないもの、これからも触らなさそうなものをなくしていくという作業です。

 

産休、育休空けの冬ということで残念ながら仕事もまだまだ余裕がありますし、緊縮財政なのですが、今あるものを見直すこともできて、なかなかいい冬になっています。

 

ともだちが言っていた、「片付けて掃除をすると、いきなりそこが聖域化する」というのも名言。

逆に、「手を触れずにほったらかしになっているところは家の中で魔窟化する」というのは私の実感です。なんか邪悪な気を発してきますよね〜。

 

片付け、したいけどなあ…ともし思ってる人があったら、おすすめはボールペンなど筆記用具。

書けないもの、何本も持ってるものなどを処分する。

そこから始めるだけでも、なんか空気が変わって勢いつきますよ〜。

 

 

 片付けの波は定期的に来るみたいで、過去にも何回か書いてますね。

似たようなこと言ってますけど、おすすめの本とともに過去記事どうぞ!

 

humanite.hatenablog.com

humanite.hatenablog.com

 

 

ブログの考え方を変えてみる

 ブログについての考え方を変えてみることにしました。

 

なにか書きたい、という気持ちはいつもあるのだけど、「鍼灸院のブログ」というので、「何か役に立つことを書かなければ」という縛りが自分の中にありました。

 

そうなってくると、例えば医学的にとか、東洋医学的にとか、トレーニングの理論的にとか、「間違ったことを書いてはいけない」「誤解を生むことを書いてはいけない」というのが大前提になってくるので、ふわ~っとしたことを書いているようでも実は(そう、実は!)、細かい言い回しに気をつけたり、これほんとに大丈夫?と調べたりします。

 

そうすると、ふと思ったことを書きたい、と思っても、ふと書いて、推敲して、精査して調べて…にかかる時間を考えて、構えてしまって書き出せない。

がんばって書いたとしても、これ公開していいのか?で煮詰めているうちに腐ったようになってきてお蔵入り。

 

さほど高尚な、学術的な意味があること書くわけでもないのに!

なんも言えない!

ってなっていました。

 

そういうブログやりたいわけじゃなかった、ということに気づいたし、もっと聞いてほしいことがあるので、気軽に話すように書くことにします。

Facebookにはけっこうダラダラと長い文章書いたりしているし。

 

季節の養生とか、元気を作る方法とか、やや専門的だったり、医療者として責任持てるよ!っていう内容はそれはそれで書いていきますが、そればかりでもなくなるよ、ってことです。

場所を変えるとか(noteとか、wordpressの中とか)、カテゴリ分けをしっかりするとか、そういう方法も考えています。

出産、産後、育児などについては別ブログ「ゆにっき」に続けていきます(これもメモだけしてほったらかし)。

 

こんまりちゃんの片付け番組と「いだてん」の話を書こうと思ってパソコン開いたのに、長くなったので別エントリにしますね。

まず片付けについてはこちら。

 

humanite.hatenablog.com