影が写り込んでいるな!(撮り直さない)
— Yuni Ando@ゆに鍼灸院 (@anyuni) February 18, 2019
必死でやらないと進まない毎日、だとしたら、どこかバランスがおかしいから、何かに手を入れる必要があります。わかっててやってる期間ならアリだけど。#ゆまにての黒板 https://t.co/7Piqhqz739 pic.twitter.com/fmrCoiQD5O
昨日の黒板にこんなことを書きました。
以前、高校サッカー部のトレーナーの仕事を始めてしばらくした頃に、監督がおっしゃっていました。
「高校生は全力で練習や試合に打ち込む。そのために、指導者は全力でやってちゃだめなんだよ。大人が、指導者が普段を毎日全力でやっていたら、何かイレギュラーが会った時に対処することができない。」
その時30歳になるかならないかだった頃で、なんでも全力でやっていた私は驚きましたが、深く納得しました。
その時は部活の話でしたが、結局日常生活でも同じことなんですよね。
毎日毎日、休みなく続く日常生活。
「休みの日」があっても、それは仕事の休みであって、「生活」が休みになることはない、と言えるのじゃないでしょうか。
その毎日を送るのに、いつも自分の全力を出さないと回らないとしたら、それを続けるのって至難の業、というか、無理。
どこかで倒れるとか気持ちが折れるとか、不具合が起こるでしょう。
そのとき、「毎日の家事の効率を考え直そう」とか「体力をつけよう」とか「ぼーっとする時間をなくそう」とか、自分に理由を求めて自分を変える方向に考える人は多いですが、そうじゃなくて、
「そもそもその毎日の設定に無理はないのか?」
と考える視点も、持っていていいと思います。
そういうとすぐ「じゃあ転職!」とか大きなことを考えがちですが、
たとえば年賀状やめるとか、
洗濯ものをたたむのをやめるとか、
休みの日にいつも外へ出かけるのをやめるとか、
そういう小さいことから「生活の中でしないとならないと思っていることの量をへらす」という発想もありです。
だってぼーっとする時間もほしいから。
ひとつ話が戻りますが、
「うん、そうなんだよ設定に無理がある。」
という答えになることもあると思います。
たとえば子育て中でとにかく時間がないとか、
やりたいことの修行中で繰り返しと時間が必要だとか、
それこそ部活で全力がんばってるところだとか。
それも、「アリ」だという時期もある。
自分で「無理があるなあ」とわかっていて、でもそれでも自分で選んでやっているなら、いいんです。
できたら、期間が区切れるといい。
たとえ自分で選んでやっているとしても、それをずっとは無理だから。
必死、たまにはいいけれど、ずっとは続かないように、自分で選んで調整できるといいですね。