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ゆまにて日記

京都の鍼灸院(とか)、「ゆまにて」のできるまでとそれから

プレイバック女子高生

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母校の高校へ行ってきました。恩師に会いに。

 

原付で20分くらいなのに、なかなか行かないもので教育実習以来なので17年ぶり?とかなのですが(間に行ったこと、あったかなあ…)、

 

高校の敷地に系列の小学校も中学校もやってきてるし、

高校の校舎もチャペルも全部建て替え、

グランドは人工芝になってるし、

 

全然懐かしくはなくって挙動不審になってしまいました…

 

恩師というのは現代文の先生なのですが、私が高校入学の時に新任で来られた先生が、もう教務主任になっておられました。めっちゃ偉いやん。

 

 

私が高校生の頃といえば部活動と受験勉強でいつもパンパン、だけど学園祭とかも2年までは全力参加してたし、家庭内では大人にならざるをえない出来事もあったし、高1で初めて好きな人ができて「私女子やったわ!!!」という発見があったりして(それまでできたら男子になりたかった)、

 

それはそれは忙しかった。 

humanite.hatenablog.com

 

 

しかもそれぞれのことについてなんか、無駄なひねりが入っていて完全に「こじらせてる」感じで、まあもう「私ってなんて悩み事が多いのかしら。きっと他の人にはないことね」みたいな、典型的な「めんどくさい」子でした。

 

結局それは30代に入っても続いていたし、なんかいろいろのことをわざとめんどくさく考える傾向があったように思います。

 

 

最近、なんか「女子高生みたいな気持ち」だなあと感じることが多いです。

これはだから、自分が女子高生だった頃、という意味ではなくて、妙にこじらせないでストレートに女子高生だったらこんなふうだったんじゃないかな、とか、

こんな気持ちで女子高生だったら楽しかったんだろうにな、

というような気持ちです。

 

 

毎日決まった場所へ行けばよくて、その環境は両親が作ってくれて、受け入れてくれる大人=先生がいて、友だちがいて、ただ、自分のやりたいことを思いっきりやって、楽しいことは楽しみ、怒ったり悲しんだり、素直にやればいい。

 

そういう気持ち。

 

前半ふたつはまあ、大人になったからもう自分でやらないとならない。

けど、規模とか質はともかく、「なんとかするだろ、その時の自分が」と思える。

 

だから後半の、「周りに人がいて」「好きなことを思いっきり楽しむ」ができるようになったんだな、と思います。

 

心配性で悩みがち、というのを長くやって、もう、飽きたんでしょう!

 

心配したって悩んだって、何も起こってないときに頭だけいやなふうに働かせててもなんにも起こらないし何も変わらない。

だいたい心配してなくても心配しててもいやなことが起こるんだったら、心配してない時間を長く取りたい。だってその方が楽しいから。

 

 

最近の私によく浮き上がってくるキイワードは、

「形」

みたい。

「形にする」「形になる」「形のある」…

形のないもの、気持ちや思い、考えはずっと大事にしてきているけれど、それだけではやっぱり、何も変わらない。

形にして、行動して。

形のないものに振り回されすぎないこと。

大まかに言って、先のことを考えすぎるのはその「今」の時間の無駄。

 

 

勉強して、働いて作ってきたライセンスや仕事が、「なんとかするだろう」という自分への信用は作ってくれた。これからもそれを磨いていけばいい。

 

今日も、ずっと「近いんだし行けばいいんだけどなあ」と「思って」いただけだった母校訪問、「行く!」という形にできて、楽しかった。

例えばそんなこと。けっこう簡単なこと。

 

 

女子高生みたいな気持ちで、女子高生だった場所に行ってみたら、なんか、もっと楽しめばよかったのにな!と、当時の私のことがかわいらしく思えました。

戻りたい、とは思わないけど、今から、女子高生みたいに楽しく暮らしていこう、取り戻してやる〜!とは思った。

 

 

それにしても現国のM山先生、何の魔法?!ってぐらい全然老けてなかった。おそろしい。

 

 

 

そして、中学校高校と同じ場所にあると、いっぱい部活やってる子たちがいたなあ…

何か、お手伝い、できたらいいなあ…

と、思ったんですけど、今の女子高生マインドであの場所にいると、高校の部活並みのエネルギーをうっかり注いでしまいそうなので(しかもノーギャラとかで)、危険なのでやめとこ…