金沢21世紀美術館に行ってきました。
この美術館は場所として好きだし、私は石川県には毎年合宿で通って特別な思いがあるので、まず、弾丸ツアーだったけれど行けてたのしかった。
いまかかっている展示が面白いですよ、と言ってくださった方があって、それが後押しになって行ったのですが、ほんと、くだらない(褒め言葉)中に深い意味があって、自分の中にしみこむというか響く感じがありました。
すごく印象的だったのが、その解釈について、立ち寄った古本屋の店員さんがさらっと、私の中にはない見かたで話してくれたこと。
特にアカデミックな会話でもなく、雑談の中で「いま何がかかってるんですか?」という流れで、「へえ、それってこういうことよね、面白いね」と言われたのが、私には大きな発見でした。
どこにでも面白いこともあり面白い人もある。
それから、もうひとつの展示が「ぬう」というタイトルで布や糸を使ったものだったのですが、これも私にはとても面白かった。
私は裁縫が好きで、特に手縫い、パッチワークキルトが好きなのですが、今回の展示に大きな大きなパッチワークがありました。
美術館の高い天井から吊り下げられた、多分5m四方はあるんじゃないかという大きなパッチワーク。縦はもっとあったかも。
ひとつひとつの布は数センチ、大きくても1辺が10センチくらいだったように思う、それをもうひたすらつなぎあわせたもの。
彫刻とか絵画と違って、ふだん自分もやっていることなので、そのエネルギーのあまりにも大きいことに、じわじわとした驚きが実感として迫ってきました。
びっくりがじわじわ入ってくる感じ。
芸術って、この「エネルギーの過剰さ」が表現されているっていうことなんだなあ、ということが、陳腐な表現ですが、実感としてわかった感じがしました。
そしてやっぱり、自分は平凡であるなあと納得。
こんな、一つのことに過剰にエネルギーをかけていく個性、私にはないなと。
けっこう最近、の数年前くらいまで、そういう「過剰さ」みたいなものへのあこがれが自分にもあって、自分がその「過剰さ」を発揮できるところはどこだ!!と探していたようなところがあるように思います。
けど、ないな~、と最近思います。
特別でありたい、という偏った思いがあったんだなあ、と今にして思えば微笑ましい感じさえあります。
私は過剰さというよりは、多彩さ、とか、柔軟さ、とかがいいところなんじゃないか、と今は思っています。
だから、平均的な生活をして、偏りなく、でも広く、というふうに自分を整えていくのが合っている。
いろんな人がいるなあ、ということをただ柔軟に受け入れて、仕事していこうと改めて思いました。
芸術に触れて、自分と実感を持って地続きに考えられたのは初めてかもしれない。
なかなか楽しい金沢行きとなりました。
金沢は自転車で回るのがおすすめ。乗り捨てしていくレンタサイクルが便利です。