オリンピック始まってます。
見たい!!
けど、見れない!なぜなら仕事してるから!
普通ですね。
でも過去には小学生だったり中学生だったり大学生だったりした頃は、ダラダラずーっと見てたこともありました。
ハイライトでなくLIVEで見ていると、たとえば競泳だったら選手が入ってきてジャージで手を振って、自分のレーンの椅子に座って、それからジャージをかごに入れて、とかそういうところまで見ていました。
妙に鮮明に覚えているのは、中学生の頃にNHKで見た、「インターハイの競泳」。
タイム表示がめまぐるしく動いて変わっていくのを見て急に、
「この人らの1秒と自分の1秒はなんて質が違うんだ!」
というようなことを思ったこと。
なんだったんだろうあの時。
すごく大事なことに気づいた瞬間だったと思うけど、その時自分はめっちゃくちゃボーっとしていた。
いま思えば、私の人生において「オリンピックをぼーっと見続けている」という時間の余裕があったのはもうその頃しかなかった。
その後の、やり過ぎてきた黒歴史については以下からどうぞ。
10記事くらい続くのでお暇なときに…
いまは黒歴史時代からすればずいぶんのんびりしているし、何なら気を入れてのんびりしてやる!とのんびりしているところもあるのですが、それでも、ぼーっとオリンピックを見る時間はなかなか取れそうにありません。
なぜならいっぱい寝たいから。
そう考えると、ぼーっとできる時間がある、っていうの、案外限られた期間なのかもしれません。
そしてそのぼーっとしてた期間、案外と自分には必要だったんだと思います。
私がずーっとオリンピック見てたのって、多分ソウルオリンピックだと思います。
その頃は受験勉強もまだ本格的でなくて(中学受験)、時差もあまりなくて、ずーっとオリンピック見て、終わったらアサヒグラフの増刊とか買ってもらって、ひたすらスポーツに熱中。
そのあたりから今の自分の全部が始まっている感じがあります。
その後の、勉強や仕事を思いっきりがんばっていた時間はもちろん、今の社会人としての自分を作った基礎になったわけだから必要な時間。
その両方があっての今の自分。
ずっと走りっぱなしだと、自分もすり減ってしまいます。
できるところで、できるやり方で、「ぼーっと」する時間も必要。
だから、ぼーっとしちゃってるなあ、最近がんばってないなあ、というのも、
「いまそういう時間やな」
と思って、ちゃんと楽しめばいいな、と思います。
その時にはその時の意味があるんやろなと。
オリンピック見たいし、ポケモンもやりたいし、なんだったら久しぶりにドラクエやりたいけど…いまはその時間じゃないみたい、な私です。