先日のお休み、晴れた朝に岡崎のモダンテラスで気のおけない人と朝食など食べている時に、3回ぐらい、
「私今日は全然心配ごととか文句とか言ってないね」
と言って、そのたびに、
「うん」
とだけ言われていたのでした。
向こうとしては「だから何」ということだったんでしょうけれど、私にはけっこうな、しかししみじみとした驚きでした。
いつも何かを心配したり気に病んだりしていて、そのことを「大丈夫、大丈夫」と落ち着かせるためにどれだけのエネルギーを使っていたのか。
そんなことに改めて気付きました。
心配ごとの愚痴とか、愚痴ですらない「心配なんだよね」とかがないと、話すことがない気さえしてきて、そういう自分がおかしくて笑えてきました。
岡崎のそのレストランからは、東山の山並みが見えて、お天気がよくて、話題がないならそれを眺めていればいいし、それを楽しめばいいってこと。
ネガティブなことややっかいごとを片付けるのにエネルギーをずいぶん費やして、そのことで何かをやった気になって、というのはこれは、いかんなと思った。
私の場合はたいていのことが心配のしすぎと考えすぎ、そして特にそれに対してアクションをしない、という「頭の疲れ」なので、これはほんとにいらない。
もっと単純に、「足りないのを打ち消す」のじゃなくて「何かを作り出す」「進む」「楽しむ」のにエネルギーを使おう、と、晴れているうちに日にあたりながらよくよく自分に言い聞かせているのでした。もうすぐ梅雨だし。