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ゆまにて日記

京都・左京区の鍼灸院 女性鍼灸師ゆにからの毎日のお知らせ

説明しなくてはわからないということは、説明してもわからない

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今朝、あんまりにももやもやするのと、最初のご予約が遅めの時間だったので、京都御所に走りに行ってきました。

地図アプリを間違って見てたようで、片道4キロぐらいあって案外遠かったです…

 

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京都御所はいろいろな桜があって、中でも旧冷泉家の枝垂れ桜はほんとうに大きく、たくさんあって早めに咲くので、先週あたりにもう満開になっていました。

 

今日はもう、ソメイヨシノと思われるのも満開になっていて、すかーっと抜けた空間とともに本当に気分がよかったのですが。

 

50代くらいかしら?の男女二人連れ、女性が携帯電話のカメラを桜に向けて構えているところへ、男性が桜の枝をつかんでゆさゆさ!と揺すりはじめたのです。

 

花びらがたくさん舞い散って、それはそれは素敵な写真が撮れたことでしょう。

その木をはじめとしてまわりの桜は八分咲きくらいの、花びらは全然散っていない今日に。

 

なんでそんなことするのかなあ。

 

と、思いました。

けど、遠くてもうその人たちは桜を離れていたし、私も特に何を言うでもなく帰ってきてしまいました。

 

なんでそんなことするのかなあ。

 

こういうことって、特に法に反するとか、ルールで決まってるとかではないけど、私の価値観ではやらないなあ、と思う。

でも、やるって人はそれでいいと思ってるんでしょうから。「きれいだなー」って。

 

 

そこを「なんで」と訊かれるとどうとも言えなくて、そういうときいつも思い出すのは、村上春樹さんの「1Q84」に出てくる、

 

説明しないとわからないようなことは、

説明してもわからない

 

というやつです。

 

 

なんか最近特に、この「わからないだろうなあと思うときに、それでも説明する」ということが本当におっくうになってきまして、トシかしら。

いえ、もう、「わかる人」を大切にしよう、ということなんですけども。

 

ちなみに、たとえば養生のことやトレーニングのことなど、からだのことをわからない、知らない、という人にはこってりと説明をいたしますよ。

それは、うまく説明すれば絶対わかってもらえることだから。

 

 

その「説明すればわかる」ことと「説明してもわからない」ということの境目って、難しい。

そして、説明した方がいいのかもう何も言わないでおくのかっていう境目も、難しい。

 

その時その時、観察して、落ち着いて決めていこうと思う。

 

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もわーっとした春の、京都。
 
 
北の方の山の重なりが好きやな。