ゆにさんの日記

京都・左京区の鍼灸院 鍼灸師ゆにさんの日記

教える、しゃべる技術、それから

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京都のゆまにてを閉めて、お江戸東京で仕事をさせていただきました。

 

ヨガスタジオで、ヨガのインストラクターやヨガをやってる人たち向けに、「解剖学」、特に「骨はどんな形をしていて、どんなふうに動くか」をお伝えするというワークショップです。

 

「解剖学」というと、医療系や体に関わる仕事をしている人にはどの分野でもまず真っ先に学ぶべき、基礎的な学問なんです。

私も体育学部と鍼灸学科で何年も授業を受けて学びましたが、

「必要である」

「試験がある」

という理由で必死で学んだけれど、その時には「楽しい」と思うことはできなかったです、正直言って。

 

でも今日は、参加してくださったみなさん、楽しそうでした!

自画自賛だけど、ほんとに。

 

むつかしくもできることを楽しくお伝えする、というの、得意なんです。

それは専門学校の先生(専任、非常勤とも)を長くやってきた中で身につけてきた「技術」です。

高校生のチームを長くみてきた中でも必死で鍛えられました。

 

確信を持って技術を磨いてきて、やっています。

 

しゃべるのは昔から好きですけど、ただのおしゃべり好きだから教えられているというのでは、ないんですよ〜。

 

 

そしてそれから。

技術だけじゃなく、今私には

「解剖学、楽しい!」

「これ、知ってた方が毎日が楽しい!」

という、ハイテンションな気持ちがあります。

 

技術だけじゃなく、その気持ちが、伝わってるのかなあ、と私は感じてます。

 

こないだは骨の形について

「ここのこんなくぼみが生まれつきあるなんて、神さまオシャレすぎませんか⁈」

って熱く語ってやや引かれましたので、このテンションのコントロールは今後の課題なわけですが。

 

 

私は今やっている仕事、好きでやってるので楽しいし、それを相手に届く形にして伝えるのは得意なことなので、これからも私をうまく使ってくださいね!

施術中に訊きまくってくださっても、なんか講師で呼んでくださっても。

 

 

やめないでこつこつ

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またお見苦しいものをアップしておりますが。

 

先週くらいに、お風呂で久しぶりに、ほんとに久しぶりに自分の足をしげしげを眺めることがありました。きっかけは忘れましたけど。

 

久しぶりに見てみたら、形が変わったなあ、と思ったのです。

 

私は中学・高校と陸上競技をやっていましたが、その頃から足がぺったんこで、踵の骨が傾いて土踏まずが下がり気味で、それもあってよく故障をしていました。

 

骨がどうこうとかは後になって自分が勉強してわかるようになったことで、その時はとにかく「ぺったんこで広がった足だなあ、いやだなあ」と思っていただけでしたが。

 

 

それからいろんなことを勉強してわかるようになって、でもその時にはもう長くぺったんこの足で関節も緩んでいたし、これが変わるには時間がかかるだろうなあ、ということもわかってしまいました。

 

でもそれでも、毎朝すこーしだけヨガをやる時にも、例えば信号待ちで、エスカレーターでエレベーターで、仕事中にふと気づいても、踵の骨を立てて、整える、ということを地味〜にずっとずっと、やってきていたのです。

 

そしたら、確実に足の形が変わりました。

 

足は土台ですから、足のつき方が変わると立ち方も変わるし、確かにもう長く、腰やら脚やらに不調はほとんどありません。

 

 

私は施術を受けられた方によく、

「いま、いい形になっているので、これを覚えるようにがんばって、気づいたら時々動かしてみてくださいね!」

と言うのですが、結局自分をいいように変えてそれを保つには、これしかないんです。

 

みなさん、「どんな体操したらいいですか?」「ジムとか行った方がいいかしら」などと相談されますが、本当にやりますか?!

私は今、そういう時間と余裕、ないです!!(言い切った)

でも、自分を変えることは、できます。

「気がついたときでいいから、やってくださいね」

をどうも、軽く聞き流されてしまっているかもしれませんけど、それがいちばん大事だよ、っていうことをもっと、私も言っていかないとなあ、と改めて思いました。

 

ずっと言ってますが、「やめてへんし」マジックワードに!

挫折したーとか言って自分のことは責めないでいいです、やめてない、休んでただけ!と、かる~く戻ってきてまた続けたら。

 

私が「足の感じが変わったなあ」と思うようになるのには、少なくとも年単位の時間がかかってます。

でも、もっと早くに変化が出ることがほとんどだと思いますよ。

 

 

そんなこと言ってたら、研修でお世話になっていた若林先生が似たようなことをおっしゃってたので勝手にシェアしときますね。ツイッターに載ってたからいいでしょ!

note.mu

 

食洗機を買ってよかったこと

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いろいろ、もろもろ写り込んでますが恥を忍んでそのまま出しますけども、

食洗機を買いました!!

 

思いっきり、友人のボディワーカーである森部高史さん(べぇさん)に影響を受けています。

彼が食洗機を買ったことについてはこちら。

moribetakashi.com

 

 

こうして設置するまでには、

 

置き場所がなくて新しくラックを設置することになり、

ラックをご近所さんの協力で組み立てたが、

なんとサイズを測り違えたようでそのラックに入らず、

もともと家で使っていたラックと入れ替えるためにまたご近所さんが助けてくれて、

設置場所が変わったことで給水コードの長さが変わったのにも近所の電器屋さんがすぐ対応してくれて、

 

とにかく大変だったんですけど、もろもろを乗り越えて、

設置してよかったです!!

 

 

食器洗い、好きっていう方もあるんですけど(実際、うちに来た方がおっしゃってたんです)、私はさほど好きではない…っていうか、めんどくさいです。

 

これまでにも自分の、料理のハードルが上がってしまうのはどこだろうか?と観察してきて、結論は「洗い物が面倒である」ということだったぐらいです。

そこが乗り越えられないから、疲れてくると

「ごはん作ったら洗わなあかんしなあ…」

という気持ちになって、ごはんを作れなくなっていたんです。

 

 

今回、食洗機を設置して、「洗い物をする」という手間が省けた、ということももちろん大きいことですが、私にとっては特にこの、

洗い物が苦手である、という気持ちごと解決したことがすごく大きかったです。

 

それから、洗い物がいやなもんだからついつい、ちょっとだけの洗い物だとすぐ洗わないでシンクに置いてしまって、それがたまっているのを見るのもいやな気持ちになっていたのですけど、少し水ですすいだら食洗機に入れてしまうのでそれも解決しました。

あー…洗い物がたまっている…という気持ちがなくなった、っていうことです。

 

 

そうなんです、結局、「気が楽になった」ということなんです。

 

前述のべぇさんは「時間を買った」と言っていましたが、私は「気持ちの軽さを買った」という感じの方が強かったです。

 

 

そして、「時間」も「気持ちの軽さ」も、食洗機を買うのにかかった対価なんか、安い!と思えるほど、大事なことだし、第一お金では買えないことです。

 

 

設置にいろいろあっただけに、近くにいる人たちのやさしさも身にしみたし、なんかいろいろ、よかったなあ、と思っているところです。

他にも思ったことがあるのですけど、長くなってきたのでそれは次に!

丁寧な暮らしには体力がいる

こないだ来られた方と話をしていて。

「結局、体力ですよね〜」

という身も蓋もない結論に行き着いてしまいました。

 

 

やりたいことをやるには体力がいる。

「やりたい」と思うのは自分の心だけど、形にするのは体だから。

 

 

やりたいことがあるのにできない、みたいなことがストレスになっている感じ、経験のある人は多いと思います。

 

それにはいろんな要因がありますが、その中で体力の要因ってけっこうあります。

 

体力、にはいろんな意味があって、一般的には筋力とか持久力とかをイメージされることが多いでしょう。

特に、日常生活だと「持久力」が問題になってくることが多いんじゃないでしょうか。

「もっとやりたいことがあるけど、疲れてできない」

という感じ。

 

これには実は筋力も関係があって、たとえば同じ荷物を持つ、同じ坂を登るにも、筋力がある人が「全力の30%くらいでやれる」というのを、筋力がない人は「全力の50%使う」となると、疲れ方が全然違います。

 

そうすると、やりたいことに割ける体力の残り方にも差が出ます。

 

 

体力って他にもあって、防衛体力といわれる、外部からの刺激に対応する能力も体力です。

ストレス耐性とか、免疫力もここに入ります。

 

そして、体はこころとつながっているので、もちろん気持ちのバランス力も体力に入る、と私は考えています。

 

 

結局、やりたいことをやるのにお金を用意するとか計画を練るとか、時間を作るとか、そういうことが必要になってくるわけで、それって頭で考えること、のようで、それを形にして実現するには全部体が行動しないとならないんです。

 

そう考えると、やりたいことをやるために、結局早寝するとか、ごはんちゃんと食べるとか、うまく体を使ってメンテナンスするとか、そういうことは前提になってきます。

 

頭ばっかり使ってても、しょうがない!

 

 

それに、はやりの「ていねいな暮し」にも体力がいりますよね…

ていねいな暮しって、ディテールの積み重ね。

細かいことに気を遣って毎日積み重ねるのって、体力いりますよ…

 

だから、これはひっくり返せば、体力に余裕のないときには「ていねいな暮し」とかやってる場合じゃない。

しんどいときはあらゆることを投げ打ってでも、寝る・食べるに注力する!

そしたらそのうち、動くのはできるようになるから!

 

いろんなことのイメージで、健やかで健康な暮しにはていねいさが…みたいに思っている方も多そうだけど、まずは体力、順番が逆。

 

 

イメージも大事だけど、まず形にできるところから手をつけてもいいのでは!

と思うのでありました。

ひとりでできるからって、ひとりでやらない!

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「食洗機を買おう!!」

から始めましたら、台所にスペースがなく、食洗機を置くためのメタルラックを設置することに。

そしてその前に、そのスペースにもともとあったものをどかす、という作業が必要に。

 

思いの外の大作業、台所大改造になってしまいました。

 

 

そして今日、ご近所さんが「行くわ〜」と言ってくださって、最終的に私が電話を取れないで連絡もついてない時にふらっとやってきて「あ、いた。やろっか!」で、さくさくとメタルラックの開梱を開始。

なんと私はその間昼ごはんを食べてました。なんちゅうやっちゃ。

 

で、いざふたりでメタルラックの組み立て開始。

 

メタルラック、組み立てしたことある人はおわかりだと思うのですが、ネットなんかの説明にあるとおり、力としては女性でも確かに、できます。

 

でも、案外とめんどくさい。

一人でもできるけど、二人でやれると半分くらいの時間でやれる体感です。

 

奥行きがあるものを組み立てるとき、「そっち持ってて」ができるかどうか、ってすごく大きいんですよね。

たとえば「ベッドカバーをかける」とき、手前で自分が持ってて、相手がいたら向こう側を持ってもらって、「せーの!」て引っ張ったら、すぐにぴーんといきますよね。

 

 

「いやいや一人でもできますし」

って今、そういうことを言いたいわけではありません。

 

一人でもできる、ってわかってること、でもできるからって一人でやらないで、誰か手助けしてくれたら、短い時間と少ない手間でできる、っていうこと、多いですよね、っていうことが言いたい。

 

将来メタルラック職人として生きていきたい、なら話は別だけど、それが自分の本当にやりたいことじゃないんだったら、その手間と時間、助けてもらって節約すれば、その分「ほんとうにやりたいこと」に注げますよね。

 

 

それに、「相方がいる」ってもう一つ大きないいことがあって、

「気がまぎれる」

ってことです。めんどくさい作業のときに「わーめんどくさいー」「ねー」って言い合うだけで、なんか気が楽になるものです。

それに「あっこんなとこにかりんとう、これおいしいんですよー」とかどうでもいい話もできるしもっと気がまぎれる。むしろ楽しい。

 

 

私はこれまで、メタルラックを数回自分一人で組んできましたが、今日ほどらく〜に組み上がったことはありません。手間、気分ともにです。

 

 

急に角度を変えて私の仕事の話にしますけど、からだ作りや日々の養生もそうなんですよ。

いろいろ関心持っている方だったら、もういろんな「すべきこと」、知ってる人も多いと思います。

 

でもそれを一人でやろうとするとなかなかハードル高く感じる、そんな時誰かに

「うん、それ、いいと思う」

って言ってもらうだけで、全然気分の重さが変わる。そういうことをけっこう、私はここで目撃しています。

東京の患者さんなんかほとんどもうそんな感じ…私、「うん、それでいいと思います」しか言ってない説が…

 

 

そんなわけで、メタルラックの組み立てについては要相談ですけど、健康づくりについてはお役に立てる「相方」やりますので。いつでもどうぞ!

 

みそ汁用野菜バイキング

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こないだの「おかずのクッキング」の話に続き、土井善晴先生の話ですけれど。

 

一汁一菜の話と前後して、「暮しの手帖」で土井先生の「汁飯香のはなし」が連載されるようになって、そのはじめの方の回に、

「みそ汁はだしをとってもとらなくてもいい。

 具だけで煮ても具からもだしが出るし、

 煮干しやかつおぶしを具と一緒に入れて煮てしまってもいい」

というようなことが書かれてあったのです。

 

私はそれまで、「だしをとってみそ汁を作る」ということにこだわりすぎていて、だしをまとめて取って保存してはダメにしたり、だしを初めにとることがおっくうになって手を付けなかったりしていました。

 

それが、土井先生のあの文章で急に気が軽くなって、それから、毎日おみそ汁を作って食べることができるようになりました。

 

おみそ汁の具になるようなものは、買ってきたときに全部切ってしまって保存容器に入れておきます。

 

っていうか「おみそ汁の具になるようなもの」って結局、他のおかずを作るときにも使う野菜で、野菜って結局、切り方は料理によってそんなに変わらないんです、私の場合。

多少は変わるけど、別にこだわりないので、おみそ汁に入れる形を優先して切ってしまいます。

 

 

青菜、玉ねぎ、にんじん、きのこあたりが定番ですけど、今日はきのこがなくて、代わりにかぼちゃとパプリカが少し残ってたので薄く切っておきました。

あとは油抜きしたうすあげ(薄い油あげ)を切っておくとか。

うすあげについては、一度油抜きしたら、おみそ汁用に細めと、煮物用に太めと2種類の短冊切りにしておくこともあります。

今書いてて思いましたけど、わかめとかも用意しておくといいですよね。

 

 

だしじゃこは妹が嫁に行った先の高知のもの。

ちりめんじゃこも同じで、気分しだいでちりめんじゃこを入れておみそ汁を作ることもあります。

どちらも、そのまま具として食べてしまいます。

 

 

こうやって野菜を切ってしまっておくことで、朝ごはんのときまな板を出さないで済みます。

それに、いつも数種類の具の入ったおみそ汁を食べられます。

意外な組み合わせがおいしかったりとか。

 

液みそを使えばより手軽ですが、私はあのだしがちょっと濃すぎるというか辛すぎるというか、好きになれないので今はやってません。 

マルコメ 液みそ料亭の味減塩 430g

 

 

一人分なので、小鍋でなくミルクパンを使っています。

富士ホーロー ミルクパン solid 12cm ホワイト SD-12M・W

富士ホーロー ミルクパン solid 12cm ホワイト SD-12M・W

 

径の小さい、深い鍋なので、一人分の水でもしっかり具がつかって、火の通りも早いです。

まあ、上記の理由で私ののおみそ汁は具がすごく多い!ということもあるのですが。

 

 

おみそ汁で野菜をいっぱい摂れるので朝はこれと冷凍ご飯と納豆、とかで満点ですし、切ってある野菜があればあとは味付けのある肉類=焼肉のたれにつけてあるやつとか、ウインナーとかとぱっと炒めれば包丁いらずで晩ごはんにもできます。

 

 

ほんと、簡単に野菜が摂れる手段としておみそ汁が使えるようになりますよ!

「野菜は直前に切らないとおいしさが逃げている」と考える方にはおすすめできませんけども。 

 

昨日の夜はこれと、豚肉・手でちぎったレタスを焼肉のたれで炒めた焼肉丼でした!

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「太陽カフェ」が閉店

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実家のそばにある「太陽カフェ」が、来月中ごろに閉店します。

 

うちの実家は仁和寺の近くから20年くらい前に銀閣寺の近くに引っ越していて(京都っぽく書いてみた)、引っ越してきたときからある、そしてその頃から行っている、太陽カフェ。

 

ランチが夕方までやってて、メニューが絶妙で、長居してもほっといてくれて、チャイがめっちゃ甘くて、すごい手作りっぽい内装なのに暖かくて、店の前に桜の木があって、

 

とにかく他のどこにもない店。

 

おじさんがやってて、奥さんが2階で雑貨屋さんを始めて(昔はカフェの店内の片隅だった)、ずっとずっとあった。

 

でも閉店。

 

歴代の彼と、両親きょうだいと、甥っ子たちと、何よりひとりでしょっちゅう行った店。

 

ずっとあると思ってたけど、よく考えたらあのおじさんがずっとやってきて、おじさんがやめたらなくなってしまうんだった。そりゃあ、そうだわ。

 

横浜に住んでるときも、帰ってきたら必ず行ってたけど、実家の近くに戻ってきてからは、近いがゆえに、そして近所に住んでたらちょっと遠いだけに(歩いて20分)、あまり行かなくなってたけど。

お客さん減ってたのかな…

 

当たり前のことだけど、店はお客さんがいないと、続かない。

そういう中で、小さな店を何十年も続けてきたおじさんは、偉人。

 

20年くらい通ってきたけど、このおじさんは私のことを覚えてるのかな?覚えてないのかな?と思うような距離感でずっときたけど、こないだ会計のときに、レジに来ようとしたバイトちゃんを制して「おれが行くわ」と出てきてくれて、

「お客さんずっと来てくれてはったよね、うち来月閉めることになって…」

と初めて話しかけてきてくれて、少し話をすることができた。

 

よく来てくれる人に話しかけて、常連さんという扱いをして、お客さんとしてつなぐ、ということをしない人だったけど、そういうところが居心地がよくて、食べ物と店の雰囲気という商品がすごくよくて、通っていた。

 

本当に偉大な店だと思う。

 

大きくするとか、メディアに取り上げられるとか、そういうことじゃない偉大さだなあ、としみじみ思う。

仕事のことや他のことでも、インターネットを見るようになって、いろいろ取り上げられてる人を見ると「すごいなあ」と思うことがあるけど、そんなことじゃない偉大さも、日常の中にはたくさんある。

太陽カフェ、メディアにあんまり出なかったしweb関連何にもないもんなあ。

ただ、店がずっとある、っていうすごさ。

 

 

私も店をやっているけど、おじさんみたいに、愛想に頼らずに自分の中身と商品で勝負できているのかな、と思うと、身が引き締まる思いがする。

私もしっかりやろう。長く続くように。